聖書法綱要 8.権力と権威 (4完)


同様に、強制にも居場所がある。正義と法が実現するには、強制が必要である。しかし、社会秩序を維持し、発達させることのできる信仰者が基盤として存在しない限り、正義も法も無益である。明日、合衆国のすべての内外の敵が奇跡的に破壊されたとしても、主な結果として得られるものは、アメリカ人の生活のさらなる悪化と崩壊である。歴史的な結果に関する限り、罪を罰せられずに犯すことができる自由が現れるだろう。

すべての、もしくはほとんどすべてのアメリカ人が同時に奇跡によって回心したとしても、悪は深まるばかりである。その白昼夢の要点はヒューマニズムであった。その目的は、国の平和と自由であった。世界平和と自由があっても、ヒューマニズムはやはり現実として残る。そのような夢の主要な目的は、人間の秩序と人間の平和である。それゆえ、これは一種の社会的福音なのである。

回心の主要な目的は、人と神との和解である。人と人、人と自分自身の和解は、この事実の二次的な側面であり、必然的な副産物であるが、しかし、副産物であることに変わりはない。再生の目的は、人が万物を再建することである。それは、人間的な平和への希求に応じてではなく、神の秩序にしたがって行われる。この目的と使命を実現するには、法と強制が必要である。

再生は、神の主権に基づく目的を実現するための、神の主権的行為である。それは神の行為であるという点で強制的であるが、人そのものが神の行為なので、再生は、人の心の中で起きる神の働きのクライマックスであるという意味において、強制ではない。回心も奇跡も人間の働きではない。人間が回心や奇跡を強制しようすることは不当である。人間は、神の法に従うことを求めることができるが、神の真似してはならない。

権利と真の権威が共存する場所において、人は神の真似をしない。人は神の法にしたがって神に仕え、神に祈る。権利と権威は、人間の秩序への願いではなく、神の秩序を拡大するために利用される。神の秩序が実現するためには、ローマは平和になるというよりも、滅亡しなければならなかった。多くのクリスチャンがローマのために祈ったし、それは正しい祈りであった。彼らが神の御業を帝国の枠組みに押し込めた時に、彼らは罪を犯した。


1. Homer, Odyssey, bk. XXII, S. H. Butcher and Andrew Lang translation.
2. Aldo Leopold, A Sand County Almanac (New York: Sierra Club/Ballan- tine Book, [1949], 1970), p. 237.
3. Laws, 942 AB.
4. Brigid Brophy, Black Ship to Hell (New York: Harcourt, Brace and World, 1962), p. 30f.
5. Denis de Rougemont, The Devil’s Share (Washington, D. C.: Bollingen
Series II, 1944), p. 31.

 

 

2015年4月13日



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