マザーテレサを受け入れるならば永遠の命を失う2


「宗教を乗り越えて合同しよう」というエキュメニカル運動は、イルミナティが編み出した世界統一運動の一環である。

マザーテレサは、偶像礼拝を推奨し、宗教間の違いを取り去ろうとしている。

愛が強調され、それによって実質が隠されている。

反対する者には「不寛容」の罪が着せられるが、しかし、ノンクリスチャンとの野合を禁じることは不寛容ではない。


私は自分の子どもに対するように言います。それに報いて、あなたがたのほうでも<心を広くしてください>。

不信者と、つり合わぬくびきをいっしょにつけてはいけません。正義と不法とに、どんなつながりがあるでしょう。光と暗やみとに、どんな交わりがあるでしょう。キリストとベリアルとに、何の調和があるでしょう。信者と不信者とに、何のかかわりがあるでしょう。神の宮と偶像とに、何の一致があるでしょう。私たちは生ける神の宮なのです。神はこう言われました。「わたしは彼らの間に住み、また歩む。わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。それゆえ、彼らの中から出て行き、彼らと分離せよ、と主は言われる。汚れたものに触れないようにせよ。そうすれば、わたしはあなたがたを受け入れ、わたしはあなたがたの父となり、あなたがたはわたしの息子、娘となる、と全能の主が言われる。」(2コリント6・13-18)

パウロはまず「心を広くしてください」と勧め、その直後に「偶像礼拝との分離」を命令している。

だから、偶像礼拝との分離は、不寛容ではない。

むしろ、心を広くすることである。

われわれは、自分がどう見るかではなく、神がどう考えておられるかに集中しなければならない。

多くの人々は、寛容の意味をはき違えている。

人はマザーテレサを「寛容の人」と見るが、神は「不寛容の人」と見ておられるのだ。

聖書から物事の是非を判断できない人は、キリスト契約のメンバーではなく、それゆえ、われわれの仲間でもない。

 

 

2014年5月15日



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