福音派に住み着くギリシャ霊肉二元論3
> 本当に、私達がノンクリスチャンの頃からの、10代〜20代にかけて流行った「この世
> の終わり終末思想」で何ら変わってなく、うんざりです。
> これでは希望が全く持てない。
> これが絶対だと主張する方々(福音派・聖霊派・その他)は、例を上げて説明しても頑な
> に否定する。
> これでは、お手あげです。
>
>> 聖書をノストラダムスの予言書のように読むのは、ペテロが禁止した「預言の私的解釈」
> です。
>>
>> 666はローマ帝国とネロを指しているのです。
> 全くその通りです。
私は、ノストラダムスの直撃を受けた世代です。
高校2年生のときでした。五島勉の説明は非常に説得力があり、私は、40代、50代になった自分を想像することができませんでした。
クリスチャンとして教会に通いだしてから、ハル・リンゼイの『地球最後の日』を読んで、さらに確信が強くなり、就職することなど馬鹿らしくなりました。
会社に派遣されて、ロシア語の語学学校に通っているときに、講師に向かって「世の終わりが近い」と熱心に説明しました。
あれからなんと30年です。何も起きなかった。
自分の青春時代に、浮き足立って職業生活もまともにできなかったし、人生設計もできなかった。
こういった個人の生活に強い悪影響を与える教えを、今の牧師や伝道者たちは、相変わらず説き続けている。
牧師や伝道者ならいいです。言うだけですから。
しかし、その教えをまともに受けて、「世の終わりが近い」と本当に信じる純朴な若者はどうするのでしょうか。
この世界を改革する技術や科学の発展にまともに取り組めない。
つきつめて考えると「もう終わりが近い。すべてはご破算になる。どんなに努力しても、反キリストによって世界は支配される」となれば、やっていることに意味はなくなる。
「こんな技術や学問の発展とかやっている場合ではない。伝道者になって携挙される人を増やすしかない」と考えても不思議ではない。
技術者や研究者、経営者、慈善活動家で、この終末論を真剣に受け取る人がいるならば、頭の中を覗いて見てみたいです。
悲観的運命論と、社会的発展とどうやって調和できるのでしょうか。
聖書は、逆のことを教えている。楽観的運命論です。
キリストの権威のもと「クリスチャンの足によって」サタンを踏み砕くことができる。
「平和の神は、すみやかに、あなたがたの足でサタンを踏み砕いてくださいます。どうか、私たちの主イエスの恵みが、あなたがたとともにありますように。 」(ローマ16・20)
2011年5月11日
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