クリスチャンは死にすら打ち勝った者たちであるからすべてに勝利できる



(神は私たちを)キリスト・イエスにおいて、ともによみがえらせ、ともに天の所にすわらせてくださいました。(エペ2・6)

クリスチャンは、よみがえった人々である。

この動詞「よみがえらせ」はアオリスト時制で過去を表しているので、将来よみがえらせられるのではなく、すでに「よみがえらせられた」。

よみがえりとは、「死への勝利」である。

世界最強の総合格闘技ファイターであり、長年無敗を誇ったエメリヤネンコ・フョードルでも死には勝てない(現在存命だが)。

死はすべての人を打ち負かす最大の敵である。

キリストは、律法を完全に守り、死を克服された。

人間に死が入ったのは、律法を破ったからである。

キリストは、われわれの代わりに律法を完全に守られたので、永遠の命を獲得された。

それゆえ、キリストはよみがえり、彼を信じ、契約的に一体であるわれわれも復活した。

キリストにあって、われわれは、死に勝利した。

最大の敵に勝利したのだから、それよりも弱い敵に勝利できる。

クリスチャンで、なおかつ死を恐れたり、死よりも弱い敵を恐れる人は、キリストの救いの意味を理解していない。

サタンは、クリスチャンが無敵であることを知っている。

そして、信仰が弱く、その事実を知らないか無視するクリスチャンを攻撃しようとしている。

なんとかしてクリスチャンを破壊したいサタンは、信仰の欠如という隙を狙う。

最近、隣人トラブルに巻き込まれたクリスチャンは、その隣人を恐れていた。

なぜならば、行動が異常だからである。切った髪の毛をベランダに放り込む。物干しざおを階下に落とす。

ベランダにかけてあるハンガーを盗む。それも良質のものだけを。

あるとき、外で物音がするので、ベランダを見ると、鳶(とび)の恰好をした隣人が、用心のため紐で縛り付けておいたハンガーの紐をハサミで切っているところを目撃した。

人に怪しまれないように、変装してまで嫌がらせをする姿に恐怖を覚えた。

警察を呼んだが、それ以来、逆に嫌がらせが悪化した。

壁をどんどん叩く。

殺されるかもしれないと恐怖に陥った。

ついに引っ越しを決意し、新しい住居を見つけた。

自分が炎に包まれて守られる姿を思い描いて祈った。

すると「自分にひどいことが起きるはずがない」との確信を得た。

それ以来、嫌がらせはおさまった。

不信仰という隙間をふさいだことが勝利につながった。

クリスチャンは、死に勝利した者たちである。

死にすら勝利をしたのだから、敵はいない。

唯一の敵は、自分の不信仰である。

不信仰は自分の中の柔らかい部分である。

そこにパンチが入ると、苦しい。

信仰によってそこを硬くするならば、サタンは打ち負かすことはできない。

私は人を恐れそうになると「私の運命を握っているのは神だけだ。人間は何もできない」と考えるようにしている。

 

 

2017年6月7日



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