契約の民と天地を結びつける働き


(1)
神の幕屋において、至聖所は神がおられる場所を象徴し、庭は地上を象徴する。

つまり、


至聖所・・・天

庭・・・・・地

である。

となれば、聖所は、「天と地をつなぐ場所」である。

聖所には、燭台とパンがあった。

彼らは朝ごとに夕ごとに全焼のいけにえを主にささげ、かおりの高い香をたき、並べ供えたパンを純金の机の上に整え、金の燭台とその上のともしび皿には、夕ごとに火をともしている。…(2歴代13・11)

幕屋が設けられ、その前部の所には、燭台と机と供えのパンがありました。聖所と呼ばれる所です。(ヘブル9・2)

イエスは、「いのちのパン」であった。

イエスは言われた。「わたしがいのちのパンです。わたしに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者はどんなときにも、決して渇くことがありません。

わたしはいのちのパンです。(ヨハネ6・35、48)

また、イエスは、「世の光」であった。

わたしは、世の光です。(ヨハネ8・12)

つまり、聖所は、イエスの場所であり、イエスは「天と地をつなぐ」おかたである。

景教徒空海は、この真理を知っており、四国を神殿と見ていたのかもしれない。

剣山は神の住まい、つまり、至聖所。

神戸と淡路島は入口と参道。つまり、庭。

阿波徳島は、剣山と神戸・淡路島をつなぐ聖所。

ホツマツタエによると、アワとは、アが天、ワが地。

阿波=天地=天と地をつなぐ場所。

だから、阿波踊りは、天地をつなぐ踊り。

(2)
鹿服を大嘗祭に献上する三木氏によると、大和朝廷を作った人々は、もともと徳島にいた。

キリストの代理者(天皇陛下=天の王の階の下の者)としての天皇が、キリストにならって天地をつなぐ聖所に居を定めたのかもしれない。

神武天皇は、西から奈良地方を支配する長髄彦と戦ったが、日に向かって戦ったのでうまく行かないということで、熊野から北上して戦い勝った。

日に向かって戦う=キリストに敵対する。

西から東を攻撃するというのは、キリストのしもべとしてふさわしくないと判断した。

ちなみに、長髄彦は、大和地方の豪族登美氏である。

つまり、私の先祖だろう。

姓名辞典では、富井、富田…は登美氏から派生した。

長髄彦の神は、ニギハヤヒである。

つまり、物部。

私は物部なのだ。だから、伊雑宮も物部。

伊佐波登美命が倭姫を奉迎して磯部の地に神宮を営んだのが、伊雑宮の創立
http://kamnavi.jp/en/mie/izawa2.htm

私の先祖が、神武天皇に国を譲って大和朝廷が誕生したのだろう。

長髄彦も、神武天皇も、同じ璽を持っており、同族であることを確認。

物部の象徴は籠神社にあるように六芒星=桐紋=一角獣。

神武天皇の象徴は菊紋=獅子。

獅子と一角獣はイスラエル南北朝の象徴なので、日本においてイスラエルは統一された。

さて、天皇家の中心の神社である伊勢神宮の伊勢は、何度も述べたように、もともと伊蘓と書いた。

伊は「天地をつなぐ人」という意味で、蘓は「蘇る」という意味。

伊勢=天地をつなぐ人が蘇る。

すでに述べたように、天地をつなぐ=聖所=イエス。

だから、伊勢神宮とは、イエス神宮である。

(3)

ピラミッドを作ったイムホテプは、ヤコブの子ヨセフであった。

http://www.millnm.net/qanda3/89dmg0JgbUYBU54096.htm

エジプトのピラミッドのうち最も古いものは、ジェゼル王のピラミッドで、この第3王朝ジェゼル王の第1宰相がイムホテプ(紀元前2690年頃-2610年頃)である。

だから、イムホテプが作ったものがピラミッドの原型。

この最初のピラミッドは7段であった(キャップストーンが失われている)。

http://urx.nu/i9IS

完全数7は神の象徴数。

おそらく、イムホテプは、ピラミッドを神の山として作ったのであろう。

その後第五王朝時代(紀元前2494年頃 - 紀元前2345年頃)に現れたといわれる、オベリスクピラミッドは、3段構造になっている。

吉村作治著から写した神殿図(赤色は私の追加)

http://www.millnm.net/qanda4/oberisk.jpg

庭―聖所―至聖所―契約の箱の構造が見える。

これが神社の原型なのだろうと思う。

ちなみに、ゲイリー・ノースによると、エジプトの王朝の年代に関しては正確にはわからないそうだ。

そのため、聖書の記述にあるヨセフの特徴とイムホテプのそれがいかに一致していても、それを同一人物とはみなされないのだろう。

私は、ピラミッドを神の山と考える。

「それから、主はアロンに仰せられた。「荒野に行って、モーセに会え。」彼は行って、神の山でモーセに会い、口づけした。」(出エジプト記4・27)

イスラエルや日本のように山がたくさんある土地ではないので、人工的に山を作る必要があった。

そのため、ヨセフ(イムホテプ)が神を象徴するものとして作ったのであろう。

よくピラミッドを、奴隷の強制労働と見られているが、実際は公共事業であったのだろう。

不況で、人々に仕事がないので、むりやり仕事を作ってあげた。

ピラミッドに、人夫の落書きがあり、王への感謝が記されているという。

http://slashdot.jp/~gen_no_suke/journal/552460/

神社、そして、四国の構造の起源は、遠くヨセフのピラミッドであり、それは、旧約聖書の教えの原型でもあった。

神が預言者アブラハムに与えられた真理をひ孫ヨセフが受け継いでエジプトにおいて表現した。

(4)

エデンの園は、エデン山の中腹にあった。

至聖所である頂上から流れる川が、エデンの園に流れ、そこから地の四方を潤した。

エデンの園は、天と地を結ぶ聖所であった。

これは、もともとアダムが、天と地を結ぶ祭司の役割を与えられて作られたことを示している。

しかし、堕落したために、その役割を果たせなくなり、追い出された。

神は代わりにキリストを地上に送り、聖所において天と地をとりなす働きをさせられた。

キリストがエデンの園に入られたように、われわれもキリストにあってエデンの園に入った。

だから、われわれ契約の民は、天と地を結びつける働きをしなければならない。

 

 

2015年3月6日



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