神が祈りにこたえて悪魔の地上支配を終わらせてくださると信じる


1.

最近もコンピュータへの攻撃があり、起動できなくなった。

データを保存してあるので、リカバリーを行った。

合計3回である。

どうして最近立て続けに起きるかというと、英語で中国人とバトルをやっているからだと思う。

中国人から「コンピュータ攻撃する」と脅かされていたがその通りになった。

一度は、Cドライブ全部空っぽにされたことがある。

これだけ厳しい攻撃を受けるのは、相手にとってダメージが大きい証拠である。

南京大虐殺の証拠と言われる累々と積み上げられた子供の死体は、実は、通州事件で殺された日本人のものである。

証拠は、同じ場所で取った他の写真の死体の人物が足袋をはいていることである。

まだ死体への冒涜が中国人のやり方で、日本人はああいうことは絶対にしない。

このような議論を展開されることが中国側にとっては一番こたえるだろう。

これまで日本人の残虐行為と思っていたことが、実は中国人の仕業であったとわかれば、陣営にぐらつきが生じる。

片手で捕虜の首を切ろうとしている日本人の写真があるが、日本人は片手で刀を扱わない。

片手に首を持ち、片手に日本刀を持ってニタニタ笑っている兵士の写真も、絶対に日本人ではない。

なぜならば、日本刀を汚すことは厳禁だったからである。

ユーチューブを見ればわかるが、中国の反日キャンペーンの勢いはものすごい。

2.

アメリカ人とも議論する。

アメリカ人は、日本が奇襲攻撃をかけてきたから、原爆を落としても当然という。

しかし、アメリカ人は、真珠湾攻撃の以前に、大陸において中国軍を軍事支援していた。

これはれっきとした戦争行為であり、それゆえ、真珠湾攻撃は奇襲ではない。

さらに、最近解禁された様々な文書(マッコーラムの対日挑発8か条やスティムソン日記)では、ルーズベルトが日本を挑発する作戦を練っていたことが明らかになっている。

また巨額の費用と長い時間をかけて調査した結果、日本軍に、731部隊や性奴隷などの戦争犯罪の証拠となる文書がまったく見つからなかったことも日本側の議論を有利にしている。

アメリカ人からすると、あまり知られていないこれらの事実をつきつけられると、反論は難しくなる。

現在もアメリカ政府は、広島に被ばくの影響を調べる調査員を派遣している事実があり、これは、原爆投下が人体実験であることの証拠である。(Wikipediaによると、有名なDJモーリー・ロバートソンの父親はこの調査員として来日した。)

日本の戦争が自衛のためであったというマッカーサーの議会証言の正しさが証明されつつある。

3.

毎日の祈りの中で「御心が天で行われるように地上でも行われるように」と祈っている。

これは、つまり、邪悪な陰謀が失敗するようにと同義である。

私は、神の御心が地上において確実に実現するならば、我々の護国活動は必ず勝利すると信じている。

われわれの祈りは、蓄積されると、あるとき爆発する。

部屋の中でガスが漏れて充満すると、ちょっとした火花で爆発するように、われわれの祈りはガスのように蓄積され、あるとき大きな奇跡が起きる。

4.

聖書において、祈りは、祭壇の火を入れて燃える香として表現されている。


彼が巻き物を受け取ったとき、四つの生き物と二十四人の長老は、おのおの、立琴と、香のいっぱい入った金の鉢とを持って、小羊の前にひれ伏した。この香は聖徒たちの祈りである。(黙示録5・8)

また、もうひとりの御使いが出て来て、金の香炉を持って祭壇のところに立った。彼にたくさんの香が与えられた。すべての聖徒の祈りとともに、御座の前にある金の祭壇の上にささげるためであった。
香の煙は、聖徒たちの祈りとともに、御使いの手から神の御前に立ち上った。
それから、御使いは、その香炉を取り、祭壇の火でそれを満たしてから、地に投げつけた。すると、雷鳴と声といなずまと地震が起こった。(黙示録8・3-5)

祭壇の火とは、犠牲の動物を焼いた火である。

これは、イエス・キリストを罪のいけにえとしてささげることを象徴している。

われわれが許されるのは、われわれの身代わりに、イエス・キリストが犠牲となって祭壇の上で燃やされたからである。

祈りという香をたくには、イエス・キリストの犠牲が必要なのである。

この犠牲がなければ、香には火がともらず、それゆえ、煙が上がらない。

われわれの祈りが神に届くためには、まずイエス・キリストの犠牲がなければならない。

キリストを信じる人だけが、神に願いを聞いていただける。

「御使いは、その香炉を取り、祭壇の火でそれを満たしてから、地に投げつけた。すると、雷鳴と声といなずまと地震が起こった。」

正義への求めは無駄にならない。

祈りにこたえて、神は地上に裁きを下してくださることをこの箇所は示している。

われわれが直接地上に対して何かを投げつけても無意味である。

それは争いを生むだけだ。

われわれがなすべきことは、祈りを積むことである。

神はご自身が定めておられるときに、御使いに命じてわれわれの祈りを象徴する香が入った香炉を地上に投げつけられる。

黙示録に記されている数々の裁きは、クリスチャンの祈りの結果である。

自然発生的に起きたのではない。

クリスチャンが祈りに祈ったから、獣であるローマは滅び、反逆のイスラエルは裁かれた。

5.

毎日5−6キロ歩いているので、1か月で100キロ歩いていることになる。

その間音楽を聞いたり、何かほかのことをしたりしない。

ただ祈っている。

ある区間を往復するのだが、往路では神の栄光と支配、悪魔の滅亡を祈り、復路では家族や支援者のために祈っている。

神が祈りにこたえて悪魔の地上支配を終わらせてくださると信じる。

 

 

2017年3月30日



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