豊葦原中つ国である日本は世界の中心としてリーダーになるべきである
1.
天皇の日本支配を権威づけるための書物である記紀(古事記と日本書紀)において、天下ったのは、二人だけである。
この二人は、それゆえ、天的な権威を帯びていると考えられる。
その二人とは、饒速日(ニギハヤヒ)と瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)。
彼らは兄弟であり、天照大神の孫であった。
天国(高天原)を治めていた天照大神は、日本の支配者の本命として瓊瓊杵尊を指名した。
しかし、その瓊瓊杵尊の前に、兄の饒速日をまず派遣した。
天照大神は、彼に10種の神宝をさずけ、天磐船で河内の哮峰(いかるがのみね)に降臨させた。
日本書紀には、
「これ(饒速日)は物部氏の遠祖である。(此物部氏之遠祖也)」
とあり、物部氏の祖先は徐福であるから、饒速日の降臨とは、徐福の来日を指す。
物部氏の神社において古代イスラエルの儀式(諏訪大社のミサクチ=アブラハムのイサク献上など)が行われていることから、徐福がユダヤ系クリスチャンだったことがわかる。
徐福が富士王朝を作ったことから、徐福の来日目的とは、古代イスラエル王国の再建であったのだろう。
饒速日が、大和の豪族長髄彦(ナガスネヒコ)(*)と親戚関係になり、大和を支配したことは、物部氏が畿内を支配していたことを示す。
そこに高千穂に降臨した瓊瓊杵尊の子孫神武天皇がやってきた。
物部氏は、神武天皇が同族であることを確認し、国を譲った。(**)
天照大神を、天界を支配するイスラエルの神ヤーウェと考えると、この神話を次のように解釈できる。すなわち、
神は、日本統治の正式な王として、まず旧約時代に饒速日を来日させ、統治させていた。
饒速日の子孫物部氏は、旧約のイスラエル人。
その後、同族で本命の統治者として新約時代に瓊瓊杵尊(秦氏)を日本に送られた。
これは、新約のイスラエル人。
日本において、旧約及び新約のイスラエル人が合体し、統一イスラエル王朝が成立した。
「人の子よ。一本の杖を取り、その上に、『ユダと、それにつくイスラエル人のために』と書きしるせ。もう一本の杖を取り、その上に、『エフライムの杖、ヨセフと、それにつくイスラエルの全家のために』と書きしるせ。
その両方をつなぎ、一本の杖とし、あなたの手の中でこれを一つとせよ。(エゼキエル37・16-17)
2015年12月27日
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