聖書の象徴において、サタンは明星である。朝に輝く金星。
キリストの象徴は太陽。
「万人を照らすまことの光」である。
そして彼らの目の前で、御姿が変わり、御顔は太陽のように輝き、御衣は光のように白くなった。(マタイ17・2)
イエスの真の姿は、このように太陽のような輝きを放つ存在である。
サタンの象徴は、鎖につながれた蛇。
また私は、御使いが底知れぬ所のかぎと大きな鎖とを手に持って、天から下って来るのを見た。
彼は、悪魔でありサタンである竜、あの古い蛇を捕え、これを千年の間縛って、
底知れぬ所に投げ込んで、そこを閉じ、その上に封印して、千年の終わるまでは、それが諸国の民を惑わすことのないようにした。サタンは、そのあとでしばらくの間、解き放されなければならない。(黙示録20・1-3)
サタンや悪霊の描写は、幽閉されたもの、縛られたもの、敗北したもの。
神は、罪を犯した御使いたちを、容赦せず、地獄に引き渡し、さばきの時まで暗やみの穴の中に閉じ込めてしまわれました。(2ペテロ2・4)
神は、キリストにおいて、すべての支配と権威の武装を解除してさらしものとし、彼らを捕虜として凱旋の行列に加えられました。(コロサイ2・15)
聖書啓示によれば、サタンはすでに敗北している。
キリストが十字架において勝利され、全支配権を握られた。
キリストは太陽であり、サタンの輝きは明星程度。
キリストは凱旋の将軍であり、サタンは凱旋の行列でさらし者になった敗軍の将。
サタンと悪霊は、本来縛られて、闇の中に幽閉されている。
ただし、歩きまわっている。
身を慎み、目をさましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、ほえたけるししのように、食い尽くすべきものを捜し求めながら、歩き回っています。(1ペテロ5・8)
聖書は、サタンについてこのように矛盾した表現をしている。
一方で「幽閉されたもの」で、他方で「歩き回っているもの」。
ペテロの手紙は紀元70年前なので、まだサタンに活動の余地があった、と考えることができる。
千年王国の正式な開始は紀元70年であるから、それ以前と以後は違うのかもしれない。
実際、千年王国になってから、サタンによる異邦人の惑わしは弱くなった。異邦人の目が開けて、世界中に福音が伝わった。
底知れぬ所に投げ込んで、そこを閉じ、その上に封印して、千年の終わるまでは、それが諸国の民を惑わすことのないようにした。(黙示録20・3)
しかし、「サタンは、そのあとでしばらくの間、解き放されなければならない。」とあるから、千年王国のいつかの時点で一時的に解放される。
現在のサタンの活動は、この解放なのかもしれない。
私は、1996年(イエス・キリスト誕生後2000年目)に入ってから、至福千年期に入ったと考えている。
それまでの二千年とはるかに祝福の程度が違う時代が来る。
至福千年期に入る前に、一時的にサタンが解放され、人類の反逆が明らかになり、滅ぼされる。
それが今なのではないか。
しかし、基本は、「サタンは幽閉され、縛られている無力な敗者」であるから、われわれはサタンを恐れないようにしよう。
明星と太陽を比較してほしい。どちらに栄光と力があるか。
本来の聖霊の活動があれば、人々の回心など一瞬で終わるだろう。
そして、神の国は劇的に拡大するだろう。
しかし、その前に人類は学ばねばならない。
歴史を通じて、教訓を与えられなければならない。
ことわれわれに関しては、「縛る」と祈るべきだ。
サタンは本来キリストによって縛られているのだから。
われわれが命じると、彼らは縛られる。
「主イエスの御名によって縛る!」
これは本当に効果がある。
自分のうちにおいて心配や恐怖があるなら、サタンが活動している場合がある。
その場合、「縛る」と命令する。
そして、「底知れぬところに行け」と命令して、「そこを封印する。二度と出てくるな」という。
本当に効果があるときは、はっきりと自分の内側から霊が出て行くのがわかる。
全身総毛立つ。ぞわ〜〜っと。
われわれの隙を突いて、霊が入っている場合があるから注意が必要だ。自分でも気づかないうちに霊が入っている。
そして、われわれを不安に陥れたり、脱力感を与えたりする。
われわれは「御使いをも支配する権威がある」(1コリント6・3)。
だから、サタンを追い出すことは可能である。