人を恐れるとわなにかかる


人それぞれ攻撃のされ方は違う。

私は一時期対人恐怖に陥った。

原因は何か。

人の評価、社会の評価を絶対視したからだ。

神の基準ではなく、人の基準をもっとも重視した。

この偶像礼拝の結果は、「人への恐れ」である。

当時、ネクタイの色や柄、持っている鞄、履いている靴、こういうものが非常に気になった。

安っぽいネクタイをしている人を見ると、バカにした。

なぜそんな落とし穴に落ちたのだろうか。

周囲の人々に適合しようとしたからだ。

その社会の価値観に同化しようとしたからだ。

自分を見失った。

救い主が神ではなく、人になった。

人から嫌われたらおしまいだと思った。

実に恥ずかしい過去である。

こういう価値観を持つと、人の言葉が異様に重たくなる。

評価されることを恐れる。

しまいには、人の前で話をすると、声がうわずった。

この泥沼から這い出すために、あえて人前で話すことにした。

予備校で300人の前で教えた。

目の前を横切って帰る生徒もいた。

最後にはどんなに人がいても平気で話せるようになった。

しかし、トラウマから脱出するまで20年かかった。

子供のころから、人との比較で生きてきた。

テストの点は、平均点以上は必ず取っていた。

偏差値で人を評価した。

このような教育で、どうして自立した人間になれるだろうか。

これは、人を神とする教育である。

だから、神はあえて私を砂漠に放りだされた。

自分がより頼んでいたものをすべて破壊された。

神以外のものを恐れなくなるまでこの訓練は続いた。

いや、これからも続くだろう。

被造物を恐れはじめると、それはどんどん目の前に大きくなる。

恐怖で、ついには何もできなくなる。

神以外のいっさいのものを恐れてはならないのである。


人を恐れるとわなにかかる。しかし主に信頼する者は守られる。(箴言29・25)

 

 

2015年6月24日



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