三笠宮崇仁親王とイスラエル
<T様>
先日亡くなった三笠宮様、どことなくユダヤ人風の風貌だと思いました。
それを友人に言うと、三笠宮様はユダヤ教やキリスト教について研究してらしたのよと教えてくれました。
明治天皇が初めて欧州を訪問した時もあちらの人たちは明治天皇があまりにユダヤ人にてるから驚いたとの記録もあるそうです。
日ユ同祖論については明治天皇ご自身が直々に調べさせていたとも。
富井様にとってはとっくにご存知で、目新しい発見でもなんでもないかもしれませんが、私は驚きました。
どこまで本当かはわかりませんが、うちの子供の学校の教科書に載っている明治天皇の肖像画をみても、やはり、明らかに日本人離れしているように感じます。
<tomi>
1995年に、「天皇家には御名が隠されています」と何気なく祈ったところ、突然、聖霊が臨み、突然雷に打たれたように、まったく声が出なくなり、涙が滂沱と流れてきました。
「あ、これは、神の御心だ!」と思いました。夜の3時ごろでしたが、友人の川口氏にあわてて電話をして、こんなことが起きたと告げました。
その少し前に、川口氏が、偶然に、明治天皇の孫小林隆俊牧師が、東山荘のメシアニック・ジューの集会に来て講演をすると耳にして、急いで伊豆にかけつけると、そこで小林師曰く、「明治天皇は、娘である私の母仁(しのぶ)に、『おまえに男の子が生まれたら、牧師にしなさい。今に役立つときが来るぞ』と言われた」と。
http://www.k2.dion.ne.jp/~yohane/000000tennnoubokusi.htm
そして、明治天皇は日猶同祖論について調べさせたとのこと。亡くなった三笠宮様のお父様三笠宮崇仁親王は、聖書に出てくる(創世記14・6)ホリ(フルリ)人の研究家です。なぜフルリ人を研究したのかというと、おそらく自分のルーツがそこにあることを知っていたからと思います。(*)
私は、フルリ人の文化は、ヒッタイト人に影響を与え、ヒッタイト人はスキタイ人に、スキタイ人は夫余人に、その夫余人が日本にわたって天皇家になったと考えています。
三笠宮様は、人前ではけっして天皇家とイスラエルの関係については述べませんが、三村三郎氏の『裏返して見た日本歴史』の中に、日猶同祖論の集会に参加している三笠宮の写真があります。
実は、フルリ人の中心地が、今のトルコとシリアの国境付近で、あそこには今もアルメニア人が住んでおり、フルリの文化はアルメニア人の先祖の国であるウラルトゥ王国と密接な関係がありました。(Wikipedia――フルリ人)
R・J・ラッシュドゥーニーの先祖は、ウラルトゥ王国の王でした。王家の記録にちゃんとラッシュドゥーニーという名前があるそうです。
このような関係からか、私が小林先生と明治天皇の話をすると、非常に関心を示しておられました。機関紙に私の文を載せていいかと聞かれたので承諾したのですが、残念ながら載りませんでした。
(*)
東大のある教授が、ギリシャ、ローマの文明、またキリスト教をはじめとする西洋の文明を理解する鍵は、メソポタミヤ、とくに古代イスラエルにあると教えてくれた。そこで三笠宮は中近東、とくに古代イスラエルの研究を開始した。その研究をしながら、はっきりわかったことがあったと、三笠宮は言われた。
それはユダヤ人およびイスラエルを理解することは、単に西洋の文明を理解する鍵なのではない。オリエント、東洋についても真に理解する鍵でもあると気づいたというのである。ユダヤ人は西洋と東洋を結ぶ橋であり、歴史の謎を解明する鍵なのだと。
こうして、歴史は三笠宮をユダヤ人へ連れていった。そしてユダヤ人は、三笠宮を自分自身の真の発見に引き戻してくれた。
三笠宮は、もはや日本人としての自分を恥とはしなくなった。いや、自分が一人の日本人であり、また皇室の一員であることに確固とした誇りを持てるようになったという。
(ラビ・マーヴィン・トケイヤー著、久保有政・訳、『聖書に隠された日本・ユダヤ封印の古代史―失われた10部族の謎』より)
2012年6月12日
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