キリスト教再建主義の五条件4


4.契約主義

神はアダムと契約を結ばれた。

それは、行為義認の契約である。別名「業(わざ)の契約」という。

業の契約のもとで、アダムは完全に神の命令を守りぬき、被造世界全体を「永遠の祝福の状態」にまでいたらせる使命を帯びていた。

アダムが完全に神に従うことができれば、アダムもエバもその子孫も、自然もすべてが「完全な状態」つまり「永遠に滅びない」状態に変化するはずであった。

しかし、それに失敗したために、呪いをこうむった。

アダムだけではなく、その子孫も、自然も、すべてが呪いの中に入った。そのままでは刑罰と滅びにいたる。

そこで、神は逃れの道として、神の第2位格であるキリストを人間として誕生させ、彼にアダムの責任を負わせて、人類の罪を支払わせ、罪責を取り除いて、万物を完成にいたらしめた。

キリストは、アダムの代わりに万物を永遠の祝福に至らしめた。

天地にあるすべてのものはキリストによって神と和解した。

これは法的和解であった。

人間は、このキリストの犠牲を信仰によって受け入れるときに自らに適用できる。

薬があっても飲まなければ効かないように、キリストを信じない限り、救いはない。

汚れた体を洗わない限り、汚れは取れないように、信仰によってキリストを受け入れない限り、その犠牲によって救われることはない。

キリストを信じる前の生まれながらの人々は、業の契約のもとにいて、「アダムにおける失敗」の中にいる。

生まれながらの人々は、アダムにおいてすでに試験に落第している。だから、われわれは落第者として生まれてくる。そのままでは滅びにいたる。

契約の主を変える必要がある。アダムからキリストに乗り換えるのである。

われわれはアダム族として生まれてきて呪いを相続する。だから、アダム族から離れて、キリスト族に加わらねばならない。

キリスト族では、契約の主であるキリストがすべてを成し遂げてくださったので、その一族に加わることによって契約の主のすべての功徳に与ることができる。

キリストは、われわれの罪の刑罰を負ってくださり、われわれの運命であった永遠の死をすべて代わって果たしてくださった。

それだけではなく、キリストは生涯において、神の基準をすべてクリアしてくださり、永遠の命を得るための資格を得てくださった。

キリストだけが神の試験に合格した。だから、キリストの一族に加わることによって、われわれも試験に合格し、永遠の命と相続に与る権利を受けた。

キリストの一族に加わり続ける限りにおいて、われわれは、永遠の命と祝福に与ることができる。

これが恵みの契約である。

アダム契約が業の契約であり、行為義認であるのに対して、キリスト契約は恵みの契約であり、信仰義認である。

われわれは信仰だけによって救われる。

アダム契約以外のすべての聖書契約は恵みの契約である。モーセ契約も恵みの契約である。

 

 

2011年4月25日

 

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