モンスターペアレントはバカである



むちと叱責とは知恵を与える。わがままにさせた子は、母に恥を見させる。(箴言29・15)

http://biblehub.com/interlinear/proverbs/29.htm

ここで、「むち」と訳されている言葉shebetは、rod, staff, club, scepter, tribeという意味。

つまり、こん棒や杖。

「叱責」と訳されているtowkechahは、rebuke, correctionという意味。

つまり、叱責や矯正。

「わがままにさせた子」naar masullahは、boy/lad/youth/retainer let looseという意味。

つまり、好きなようにさせた子または若者。

「わがままにさせた」にあたるmasullahは、次の2カ所で用いられている。

すなわち、

イザヤ16・2では、bird "cast out" of the nest、つまり、「巣から"追い出された"鳥」。

イザヤ27・10では、habitation "forsaken, and left"、つまり、「"見捨てられた"居住」。

つまり、この箇所を原語に即して訳すと、

こん棒や杖、及び、叱責や矯正は、知恵を与える。追い出され、見捨てられ、好きなように放置された子または若者は、母親に恥をかかせる。

となる。

モンスターペアレントは、聖書的に見れば、バカである。

子供をこん棒や杖を用いて叱責したり矯正したりせず、好きなようにさせる親は、実質的に子供を追い出し、見捨てているようなものである。

体罰を行わない親は、子を愛しておらず、見捨てている。

むちを控える者はその子を憎む者である。子を愛する者はつとめてこれを懲らしめる。(箴言13・24)

ここで「むち」と訳されている言葉もshebetであり、rod, staff, club, scepter, tribeを意味する。

http://biblehub.com/interlinear/proverbs/13.htm

つまり、こん棒や杖を控える者は、子を憎み、愛していない。

子供を本能のままに放置し、やりたいことをやらせ、訓戒を与えず、道具を用いて体罰を与えず、叱ってくれた他人を「PTSDを与えた」として訴えるモンスターペアレントの正体とは、「子に対する愛情の欠落した人間」である。

心の奥底において、子供を憎んでいるので、彼らは叱らない。

牧師にしても、教師にしても、医師にしても、人を甘やかし、おべっかをつかい、へつらうような人間の血は凍っている。

「相手のためを思って」という動機で行動しない。

いつも「自分の利益」しか頭にない。

相手を怒らせて関係を破壊するよりも、作り笑いをして、関係を維持するほうがよいと考えている。

子供を心の奥底で愛していないので、心の奥底で感じ取っている子供は大人になって復讐する。

「母親に恥をかかせる」ことによって。

ある教会に、いろいろな問題を起こして迷惑をかける人がいた。

その母親は、牧師に対して「恥ずかしい」と告白した。

この箇所で恥をかかされる人が「母」であるとされているのには意味がある。

母親は子供がどのような大人に育つかについて、大きな責任があるからである。

人間としての基本形ができる時期に密接にかかわる母親は、その子の人生を大きく左右する。

ピューリタンの影響から、アメリカ人クリスチャンの子育ては、かつて非常に厳格であった。

しかし、間違った教育論の影響で「叱らない子育て」が広がり、子供たちが甘やかされるようになった。

結局、真理よりも、我欲を優先する「甘美なキリスト教」ができあがった。

人間は、必ず蒔いた種を刈り取る。

今、指導者を悩ませている親たちは、年老いたときに、子供からしっぺ返しを食らうだろう。

 

 

2015年12月24日



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