死刑制度に反対するクリスチャンは別の宗教の信者である2
麻原の死刑実行に反対する牧師たちは、対神関係と対人関係を混同している。
対神的には、イエスを罪のいけにえとして捧げることによって(つまり、十字架は自分の罪のためであったと信じることによって)「完全に」赦される。
なぜならば、イエスの血以外のいかなるものも罪の代償にはなりえないからである。
しかし、これによって対人的責任が解消されたわけではない。
対人的には、損害を与えた程度に応じて償いをしなければならない。
「目には目」。
「神を信じれば、対人賠償をする必要はなくなる」と考えている人が多い。だから、死刑に反対する。
聖書では、他人のものを盗んだら、最大でその5倍をもって償えとある。
牛とか羊を盗み、これを殺したり、これを売ったりした場合、牛一頭を牛五頭で、羊一頭を羊四頭で償わなければならない。
もし盗んだ物が、牛でも、ろばでも、羊でも、生きたままで彼の手の中にあるのが確かに見つかったなら、それを二倍にして償わなければならない。(出エジプト記22・1, 4)
2018年7月7日
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