殺人者を処刑しない国は法治国家ではない
死刑制度の是非を報復論で考えるのは間違い。
(1)
日本が法治国家であり、法律を守ることが至上の価値と認めて成立している以上、違反者に対して処罰を行うのは当然のことである。
そして、その処罰が、違反の程度に応じて厳しくするのも当然のこと。
100円盗んだことに対して100円に応じた刑罰を与え、100万円盗んだことに対して100万円に応じた刑罰を与える。
犯罪の程度に応じた刑罰を与えないと、たとえば、100万円盗んだ者に100円の刑罰しかかからなければ、その法律はざる法になり、国家が「法律を守る必要はない」といっているのと同じ。
人の命を取った者に、処刑未満の刑罰を与えることは、国が法体系を破壊することであり、法治国家であることを捨てることに等しい。
「報復していいのか」なんていう道徳論とは関係ないのだ。
(2)
もちろん、被害者が加害者を許すことは間違いではない。
しかし、国が被害者に対して「許すことを強制すること」はできない。
なぜならば、法治国家の基本は、「遵法者を尊重し、違法者を処罰する」という原則によって成立するから。
法治国家の存在意味とは、法のもとに構成員を公平・公正に処遇することにあるから。
遵法者の利益よりも違法者の利益が尊重されるならば、法のもとにおける平等が崩れる。
違法者は、遵法者よりもリスクを高くしなければならない。
格闘技で反則を犯す選手が尊重され、規則を守る選手が不利益を蒙るならば、それはもはやスポーツではない。客はそのような判定を下す審判に猛烈に抗議し、それでも審判者が直さないならば、そんなスポーツは捨てられる。
公平性から見て、殺人者に対して処刑を適用しない社会は理不尽であり、それゆえ異常である。
(3)
一人でも故意に人の命を奪った人間は、処刑されるべきであり、それをお請わない社会は崩壊する。
それはもはや法治国家ではない。
法律を尊重するならば、遵法者以上の不利益が生じるように違反者を扱え。
2010年12月30日
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