神の国を作る人が味わわねばならない遺産


知識と理解が進むと、違う段階に入ったことなので、その違う段階に入っていない人々は話し相手になりにくくなります。

これは、この立場に立ってからずっと体験してきたことです。

私たちは、社会から孤立します。

これは、社会のリーダーとなるべく選ばれた私たちにとって試練です。

周りの人々は孤立を恐れて新しい立場を取りたがりません。

私は、偽りを信じて仲良しを続けるより、真理を信じて孤立することを選ぶほうなので、諦めています。

結局、仲間を増やしてこちらがスタンダードになるしかないのです。

そして、スタンダードになると決意したら振り向いてはならないのです。

鍬に手をかけてから後ろを振り向く人は私にはふさわしくない、とイエスが言われたとおりです。

私たちは開拓者として召されたのです。

これは、召命です。

ですから回避できません。

神の任命があったのですから、前を向く以外に道はありません。

別の方向に舵を切ろうとしても、必ず失敗します。

私たちに必要なのは、同時に、謙虚さだと思います。

どう考えるべきかというと、「これは召しであり、私たちが自分で獲得したものではない。与えられたものだ」との自覚です。

私たちが偉いのではなく、私たちを選んで召してくださった主の賜物だから、と考える必要があります。

そうはいっても、どうしても、周囲が幼稚に見えてどうしようもありません。

よい意味で、プライドを持って自信を持つ必要があります(持たないとサタンに足をすくわれる)が、同時に謙虚さも持たないといけない(謙虚さがなくなるとまたサタンに足をすくわれます)。

この微妙なバランスを痛い目にあいながら体得するしかありません。

他人からは、傲慢だと誤解を受けるでしょうが、しかたないのです。

弟子たちも同じ道を通ってきたのだと思います。

私は父親からいつも傲慢だ、傲慢だ、と思われてきました。

父親には父親の獲得してきたものがあり、それがプライドとしてあります。

しかし、私たちが得てきたものは、通常のレベルのものではなく、超自然的な知識や悟りなので、理解される可能性は低いです。

同じ立場に立つと見えてくるのですが、違う立場に立つと傲慢さだけが目についてしまいます。

それで、私は教会から追い出されましたし、また、裁判にもかけられました。あまりにも霊的に脅威だからです。

警戒されます。

真理が見えてくるスリルと喜びがある反面で、孤独と誤解と裁きがあります。

どちらもこの地上で神の国を作る人が味わわねばならない遺産です。

 

 

2014年10月16日



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