縄文土器にみずらが見られない理由


日本の人型埴輪に存在する「みずら」は、明らかに旧約聖書の律法に記されている「伸ばした鬢の毛」であり、契約の民(ユダヤ人)の証拠である。




ちなみに、人型埴輪の人物は、手足のそでに紐を通しているものがあるが、これは、律法に命令されている「衣服の四隅につけた房」であろう。

つまり、大和朝廷を作った人々は、ユダヤと混血をしたモンゴル系の人々、夫余族であったのだろう。

みずらは、3世紀以前、縄文時代の土偶には見られないという。

http://tacchan.hatenablog.com/entry/2014/10/23/173718

Y遺伝子から見ると、縄文人にはユダヤ人と同じDE遺伝子がある。

ということは、おそらく、日本には、律法を授かる前のユダヤ人、つまり、ヘブル人が来ていたのだろう。

ヘブル人のふるさとは、タガーマ州ハラン(今のイラクより北部)である。アブラハムもこの地の出身である。

そこにはカナン人がいなかった。カナン人がいたのは、平地のバビロン(今のイラク南部)である。

カナン人がいなかったので、アブラハムはイサクの嫁探しにここにしもべを派遣した。

この地は、アララト山のふもとにあり、アララト山は、洪水後の人類の出発点であり、「第2のエデン山」であった。

エデンの園がエデン山のふもとにあったことから、ふもとは、「神の権力代行者としての人間」の住まいを意味する。

それゆえ、タガーマ州ハランは、「第2のエデンの園」であると言える。

この第2のエデンの園から出発した人類の一部がバビロンに下り、一部が日本に来た。

これが高天原として、日本神話に伝えられているのだろう。

みずらが命令されたのは、モーセのときであるから、モーセ以前のユダヤ人はみずらをしていなかった。

これが縄文人がみずらをしていない理由である。

 

 

2017年2月18日



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