中国の古文書に日本が世界の中心であると記されている2


1.

私は、アッシリア捕囚とバビロン捕囚にあったユダヤ人、しかも、その中の王族の家系のものが、秦の始皇帝になったと推測する。

そして、その同族である徐福が日本に来て、物部王国を作った。

徐福の後、秦の人々は大量に日本に移民したのだろう。

この人々は秦氏を名乗り、日本を支配し、天皇を出していた。

後に、弓月国からやってきた秦氏に政権を譲り、物部氏となって秦氏を支えた。

この弓月国、捕囚があったペルシャ帝国の近くにあった。

おそらく捕囚の民の中の王家の血筋のものが作った国だろう。

この2つのイスラエル王家が日本で出会ってできたのが大和朝廷である。

徐福は、イスラエル北朝の王家の血筋であり、秦氏は南朝の血筋であろう。

それゆえ、皇室の紋章には、イスラエル北朝と南朝のそれぞれの象徴である一角獣と獅子がそろっているのだろう。




2.

聖書では、南北統一王朝を実現するのは、メシアであると記されている。

その日、わたしはダビデの倒れている仮庵を起こし、その破れを繕い、その廃墟を復興し、昔の日のようにこれを建て直す。(アモス9・11)

旧約の預言はことごとくイエスによって成就された。

わたしが来たのは律法や預言者を廃棄するためだと思ってはなりません。廃棄するためにではなく、成就するために来たのです。(マタイ5・17)

それゆえ、イエスは、すでにダビデの仮庵、すなわち、南北朝イスラエルを復興しておられるはずである。

それが、教会である。

クリスチャンは、新しいイスラエルになった。

この再興は、紀元70年までに実現した。

3.

紀元70年までに、イエスの弟子たちは、日本に福音をもってやってきていたはずである。

ユダヤ人クリスチャンたちは、民族のアイデンティティを維持するために、地理的に新しいイスラエルを求めていたのではないだろうか。

バビロン捕囚以後、彼らは、戦争のない平和な場所を探し、日本にたどり着いた。

東にエデンの園のように、豊かに潤った土地があるとの情報はユダヤ人の間に広まっていた。

そこで、ペルシャ帝国が滅亡し、自らを匿ってくれる場所を失った民が、日本列島目指して移動した。

北朝に続いて南朝の王族も移り住んで、新しいイスラエル王朝、統一王朝を築き上げた。

それが大和朝廷なのではないだろうか。

4.

ご注意いただきたいのは、日本だけが新イスラエルであると考えることはできないということである。

新約時代において、特定の場所や民族が神の民や聖地になったとは記されていない。

新約時代には、全地が聖地であり、万物は清い。

動機によって汚れる。

そういう時代において、日本を特別視することはできない。

ただ、イスラエル人がアイデンティティを確保するために、南北朝統一イスラエルの建国を望んだ可能性はある。

その意味で日本は特別な場所かもしれない。

 

 

2017年10月20日



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