中国の古文書に日本が世界の中心であると記されている2
1.
私は、アッシリア捕囚とバビロン捕囚にあったユダヤ人、しかも、その中の王族の家系のものが、秦の始皇帝になったと推測する。
そして、その同族である徐福が日本に来て、物部王国を作った。
徐福の後、秦の人々は大量に日本に移民したのだろう。
この人々は秦氏を名乗り、日本を支配し、天皇を出していた。
後に、弓月国からやってきた秦氏に政権を譲り、物部氏となって秦氏を支えた。
この弓月国、捕囚があったペルシャ帝国の近くにあった。
おそらく捕囚の民の中の王家の血筋のものが作った国だろう。
この2つのイスラエル王家が日本で出会ってできたのが大和朝廷である。
徐福は、イスラエル北朝の王家の血筋であり、秦氏は南朝の血筋であろう。
それゆえ、皇室の紋章には、イスラエル北朝と南朝のそれぞれの象徴である一角獣と獅子がそろっているのだろう。
その日、わたしはダビデの倒れている仮庵を起こし、その破れを繕い、その廃墟を復興し、昔の日のようにこれを建て直す。(アモス9・11)
わたしが来たのは律法や預言者を廃棄するためだと思ってはなりません。廃棄するためにではなく、成就するために来たのです。(マタイ5・17)
2017年10月20日
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