支援者がいなければ閉じるしかありません
ご支援くださっている皆様におかれましては感謝いたします。
さて、この活動はご支援によって成り立っており、翻訳の仕事では生活が成立しません。
既存のディスペンセーショナリズムの教会に参加し、牧師として留まっていれば、普通の教職者としての俸給とそれに伴う様々な社会的恩恵を受けられたのでしょうが、全部、教えのためにあきらめました。
私のWikipediaの記事の中にかつて「教会の長老罷免問題のどさくさにまぎれて辞めた」と書かれてありましたが、まったく根拠がありません。
当時の教会員の証言を集めることができますが、その問題が起きる前に辞めたのです。
ということで、本来得られるはずのものがこの活動のためにまったく得られなくなってしまいました。
私と初期のころから活動しているK氏も、あらぬ噂を立てられて教会を追い出されましたが、この活動をしていると超自然的な攻撃を受けるのです。
さて、私は普通のディスペンセーショナリズムの教会のために働く意味はないと思っておりますので、ポスト・ミレにたって独自にやっていくしかありません。
三鷹福音教会も同じ立場だろうと言われるかもしれませんが、スミス牧師はオーバン・アヴェニュー神学であり、とても同じ神学を信じていると言えません。
伝統的な契約神学は二契約主義であり、オーバン・アヴェニュー神学の一契約主義とは明らかに異なります。
ということで、日本において共同して活動できる団体はありません。
ポスト・ミレと二契約主義、セオノミー、ヴァン・ティル前提主義、統治主義を維持するには、皆様のご支援がなければやっていけません。
聖書において交わりの定義は、「霊的なものを受けたら、物質的なもので返せ」です。
彼らは確かに喜んでそれをしたのですが、同時にまた、その人々に対してはその義務があるのです。異邦人は霊的なことでは、その人々からもらいものをしたのですから、物質的な物をもって彼らに奉仕すべきです。(ローマ15・27)
もし私たちが、あなたがたに御霊のものを蒔いたのであれば、あなたがたから物質的なものを刈り取ることは行き過ぎでしょうか。(1コリント9・11)
2013年2月28日
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