「神々」と訳すべきである
神は仰せられた。「さあ人を造ろう。われわれのかたちとして、われわれに似せて。彼らが、海の魚、空の鳥、家畜、地のすべてのもの、地をはうすべてのものを支配するように。」(創世記1・26)
ここで「神」に当たるヘブライ語elohimは、eloah(神)の複数形である。
https://biblehub.com/interlinear/genesis/1.htm
つまり、直訳すると「神々」なのである。
しかし、「仰せられた」に当たるwayyomerは、動詞amarの三人称単数。
主語が複数なのに、述語が単数。
明らかに「三位一体」を啓示している。
さらに、
「さあ人を造ろう」の「造ろう」に当たるnaasehは、動詞asahの一人称複数。
神々の間での相談と合意があったことを示している。
この一節だけで、神は存在論的に複数、契約的に単数であることがわかる。
私はこの箇所を次のようにきちんと「神々」と訳すべきだと考える。
神々は仰せられた。「さあ人を造ろう。われわれのかたちとして、われわれに似せて。彼らが、海の魚、空の鳥、家畜、地のすべてのもの、地をはうすべてのものを支配するように。」(創世記1・26)
2019年11月30日
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