警告の個人預言について


剣がその国に来るのを見たなら、彼は角笛を吹き鳴らし、民に警告を与えなければならない。
だれかが、角笛の音を聞いても警告を受けないなら、剣が来て、その者を打ち取るとき、その血の責任はその者の頭上に帰する。
角笛の音を聞きながら、警告を受けなければ、その血の責任は彼自身に帰する。しかし、警告を受けていれば、彼は自分のいのちを救う。
しかし、見張り人が、剣の来るのを見ながら角笛を吹き鳴らさず、そのため民が警告を受けないとき、剣が来て、彼らの中のひとりを打ち取れば、その者は自分の咎のために打ち取られ、わたしはその血の責任を見張り人に問う。(エゼキエル33・3-6)

1.

誤解されることが多いのが個人預言である。

神は個人について、人を用いて御心を知らせ給う。

私も何度か預言を受けたことがある。

警告を無視していたら、部屋の中でへんなことが起き始めた。

オーディオ機器が勝手にスイッチが入ったり消えたり。

自分の権威として立てられている人の意思は重視すべきだ。

上司や牧師は、むやみに警告しない。

配偶者からの警告も無視しないほうがいい。

教会を大分裂させた知り合いの牧師の場合、問題が大きくなる前に奥さんが何度も警告していた。

警告の声はだんだん大きくなる。

よく電話で会話していた牧師の場合、もめ事が起こり、警察署内で警官から罵倒された。

いつまでたっても目が覚めないので、神がその警官を使って叱責されたのだと思う。

ちなみに、あるとき、その牧師に電話したところ、ただならぬ空気が電話越しに伝わってきた。

「今大変だからまた後にして」と言われた。

後から聞いたら、自分が悪霊に憑依されたとのこと。

「tomi君、悪霊っているんだよ。あのとき、自分に入ってひどいことになってさあ」と。

具体的にどういう状態かは聞かなかったが、かなり激しい霊的な体験をしたのだろう。

警告を無視すると、とんでもないことが起きる。

霊的に無知だとか経験不足の人は、軽く受け流す。

私は体験によって、神の取り扱いの恐ろしさを知っているので、小さな警告でも真剣に受け取るようにしている。

相談されて、何度も同じことを答えることがある。

何度も同じことを言わなければならない場合、その人が真剣にこちらのアドバイスを受け取っていないことを意味する。

時が必要なのだろう。

人間は、本当に学べるように心が整わないと、変わることはできない。

このHPでいろいろと示してきたが、真剣な反応があるとは思えない。

受け流されていると感じる。

フェイスブックでもツイッターでも、アメブロでも配信しているが、ほとんど「いいね」がつかない。

しかし、聖霊に示されて書いているので、時が来れば、腹に落ちるだろう。

個人預言にしろ、ネットでの情報配信にしろ、私が何かを述べるときに、それを個人的な当てつけ、嫌み、個人攻撃と判断しないでいただきたい。

私は、個人に当てつけたり、攻撃したり、嫌みを言うほど暇ではない。

そんなことをやっても、時間と労力の無駄である。

あくまでも「聖霊の導き」によって以外、書かない。

趣味でやっているなら別だろうが、私にはマイナスな言葉を吐いて憂さを晴らすような趣味はない。

すでに述べたように、正義と真実のために「のみ」発言している。

そして神から示されたことを発言して、それで相手が受け入れないなら、バトンは相手に渡った。

私は自分の責任を果たしたので、後のことは、神とその人の間の関係になり、自分にとってはどうでもいい。

バトルをやることもあるが、言い切ったら、放置する。

聖書にあるとおり、警告は3度までである。3度は「十分」を意味する。

しかし、イエスは言われた。「ペテロ。あなたに言いますが、きょう鶏が鳴くまでに、あなたは三度、わたしを知らないと言います。」(ルカ22・34)

このことについては、これを私から去らせてくださるようにと、三度も主に願いました。(2コリント12・8)

異端の場合は1,2度。

分派を起こす者は、一、二度戒めてから、除名しなさい。(テトス3・10)

何度も警告を無視したり、警告した人を逆恨みするならば、処罰は免れない。

語っておられる方を拒まないように注意しなさい。なぜなら、地上においても、警告を与えた方を拒んだ彼らが処罰を免れることができなかったとすれば、まして天から語っておられる方に背を向ける私たちが、処罰を免れることができないのは当然ではありませんか。(ヘブル12・25)

 

 

2018年6月24日



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