せっかく献身しても、間違った神学を信じて、それを信徒に伝えるならば、その献身はまったく評価されないどころか、自分の永遠の生命を失うことになりかねない。
たとえば、聖書で「地を従えよ」と神は人間に命令されたが、「地はサタンに支配されているので、従えることはできない。やっても無駄だ。」と教えるならば、牧師や伝道師は、偽預言者になる。
聖書に反することを教えたからだ。
もちろん偽預言者の受ける裁きは永遠の火である。
…にせ預言者も、彼といっしょに捕らえられた。そして、このふたりは、硫黄の燃えている火の池に、生きたままで投げ込まれた。
そして、彼らを惑わした悪魔は火と硫黄との池に投げ込まれた。そこは獣も、にせ預言者もいる所で、彼らは永遠に昼も夜も苦しみを受ける。(黙示録19・20、20・10)
「永遠に昼も夜も苦しみ」を受ける。
聖書に反することを語ることがどれほど恐ろしいか。
1000兆年たっても「火と硫黄との池」から出ることはできない。
だから今ディスペンセーショナリズムの教会で牧師をしていたり、リベラルやバルトの教えを信徒に伝えている人々は、「火と硫黄との池」を覚悟すべきだ。
また、そういう偽の教えを伝える人々に献金をするならば、その人々もその行いに与るわけだから、同じ運命をたどる。
預言者を預言者だというので受け入れる者は、預言者の受ける報いを受けます。(マタイ10・41)
逆を言えば、
偽預言者を受け入れる者は、偽預言者の受ける報いを受ける
ということになるのだ。
偽預言者たちが偽りの教えをばらまくことができるのは、背後に彼らにお金を与える者がいるからである。
だから、彼らが生活できるようにしている人々は、同罪である。
陰謀論では、資金提供者を探す。
表の歴史にはヒトラーしか出てこないが、ヒトラーよりも彼に資金を提供していた人々を重視する。
金を出す者が、笛吹きの曲を決定できる。
金の流れを掴めば、黒幕を見つけられる。
資金提供者は、同罪どころか、もっと重い刑罰を受ける。
ディスペンセーショナリズムやリベラルやバルトやフルプレテリズムやオーバン・アヴェニューなどの「非聖書的」教会に献金する人は、彼らと同じように、1000兆年たっても出てこれない火の池に投げ込まれる。
神の言葉を扱うわれわれには、どれだけ重たい責任があるか。
(2)
聖書的な運動に金を出さない人々も同じ刑罰を受ける。
すると、王は彼らに答えて言います。『まことに、あなたがたに告げます。あなたがたが、これらのわたしの兄弟たち、しかも最も小さい者たちのひとりにしたのは、わたしにしたのです。』
それから、王はまた、その左にいる者たちに言います。『のろわれた者ども。わたしから離れて、悪魔とその使いたちのために用意された永遠の火に入れ。(マタイ25・40-41)
聖書信仰のために戦っている人々に対してやったことは、全部キリストにしたのと同じである。
なぜならば、聖書信仰の人々は頭であるキリストにつながっているからである。
「聖書を無視していい」と教える人々は、契約の中に留まることはできない。
マタイ24章で「これらすべてはこの時代に起きる」と述べられている「再臨の前兆」の記事を、いかなる聖書的根拠もなく、「これは現代の予言だ」と述べる人々は、聖書を無視しているのだから、絶対に許されない。
契約に留まることのできる人は、「自分がやっていることが罪であるとわかっていながら確信犯として罪を犯し続ける」人ではなく、「真剣に罪を捨てようとする人」だけである。
ディスペンセーショナリズムを信じ、その教会に献金し、偽預言者を助け、聖書に忠実な信仰があってもそれを無視したり、逆に中傷したり、妨害しながら、永遠の命など受けられるはずがない。
そういう人は1000兆年たってもやむことのない火の刑罰を受ける。