神の国のために使わなかった人生は無益である


(1)

進化論とか現代の非聖書的科学は、最大の隙なのである。

われわれは、教科書に書いてあることを信じる傾向がある。

それを信じないと進学もできないから当然なのだが。

しかし、聖書に反することはすべて間違いなのだから、そういうものを絶対視することは間違い。

そして、われわれの中に神によらない部分、神が支配されない領域ができる。

それは、隙である。

悪魔はその隙を突いてくる。

必ず突いてくる。

なぜならば、この地上世界は、権力闘争の場であり、陣取り合戦をしているから。

どこかの土地が空いているならば、必ず誰かが入る。

そして、所有権を主張する。

それと同じように、この世界には中立などという領域はない。

神か悪魔か。

われわれが進化論を信じて、創世記を否定すれば、そこには一瞬真空が生れるが、すぐに悪魔がやってきて、そこを拠点にしようとする。

悪魔はその拠点から次々と別の方面を占領していく。

進化論を信じると、創世記を否定し、アダムとエバの話も否定、堕落の話も否定、そして、キリストの贖罪の必要性も否定。

これによって、完全にキリスト教は死ぬし、クリスチャンも滅びる。

だから、進化論を受け入れるならば、最終的に滅びるしかない。

聖書に基づかない教えを少しでも抱くならば、そこは悪魔の拠点になるのだ。

だから、聖書信仰で完全に自分を防衛し、思想的に完全な体系を作り上げ、どこから攻められても対抗できる力を身に着けなければならない。

あるディスペンセーショナリズムの教会の牧師と話す機会があった。

彼曰く、「僕は、神学とかまるでわからなくて。ははは」。

ははは、じゃない。

神学が分からないということは、武装解除された兵士のようなもの。

サタンにやられ放題になる。

精神に異常をきたして廃人にさせられていないだけでも感謝しなければならない。

(2)

人間は、どんなことでも利用される餌になる。

理性的な人からすれば、オバケを恐れるなんて馬鹿げている。

しかし、オバケを恐れる人にとってそれは、自分を縛り付ける奴隷主である。

一日中オバケを恐れて身動き取れなくなる。

迷信もそう。

占いとか、風水とか信じると、それが気になって仕方がなくなる。

それに気を取られて重要な仕事ができなくなる。

われわれは、神の兵士として神の国を拡大するために生まれてくる。

そして、サタンは、なんとかして兵士にならないように努力する。

そのために、注意を散漫にする。

オバケとかUFOとかアイドルとか金儲け、権力争いなど、つまらないことで人生を無駄にし、世界を変える働きをさせないようにする。

一番強烈な散漫は、思想を通じて起きる。

「世界は偶然で成立した。だから、目標も目的もない。人間はただ自分の欲望を追求して生きればいい。」

このような思想を学校で叩き込まれる。

だから、学校を卒業するときには、立派な無能になっている。

神の国のために何の役にもたたない。

いや、むしろこういう人を無能にする思想を広めるために、活動する人々になる。

それで、現在の壊滅的な状況が生れた。

クリスチャンの中にすら、神の国のために働こうなどと考える人はいない。

それでディスペンセーショナリズムの教会になど献金して、「この地上はあきらめろ。再臨まで何も変わらない」という牧師を支援し、無数の無能なクリスチャンを製造する。

人生全体を自分で溝に捨てている。

「地を従えよ」という神の第一命令に関係なく生きれば、自分の人生のほぼすべてを捨てたに等しい。

評価するのは神である。

われわれの人生が終わった後に神の評価が下る。

「おまえは、私が命じた神の国建設にどれだけ努力したか。結果を示せ」と言われる。

「私は、そんなこと気にしたことがありませんでした」

「それならば、おまえには報いはない。永遠の闇の中に入れ」

(3)


しかし、百人隊長は答えて言った。「主よ。あなたを私の屋根の下にお入れする資格は、私にはありません。ただ、おことばを下さい。そうすれば、私のしもべは直ります。
と申しますのは、私も権威の下にある者ですが、私自身の下にも兵士たちがいまして、そのひとりに『行け』と言えば行きますし、別の者に『来い』と言えば来ます。また、しもべに『これをせよ』と言えば、そのとおりにいたします。」
イエスは、これを聞いて驚かれ、ついて来た人たちにこう言われた。「まことに、あなたがたに告げます。わたしはイスラエルのうちのだれにも、このような信仰を見たことがありません。
あなたがたに言いますが、たくさんの人が東からも西からも来て、天の御国で、アブラハム、イサク、ヤコブといっしょに食卓に着きます。
しかし、御国の子らは外の暗やみに放り出され、そこで泣いて歯ぎしりするのです。」(マタイ8・8−12)

「御国の子ら」がどうして「外の暗やみに放り出され」たのか。

「私自身の下にも兵士たちがいまして、そのひとりに『行け』と言えば行きますし、別の者に『来い』と言えば来ます。また、しもべに『これをせよ』と言えば、そのとおりにいたします。」

神が命令したとおりに行動しなかったからだ。

神が「行け」と言っても行かず、「来い」と言っても「来」ず、「これをせよ」と言っても「そのとおりに」しなかった。

神の権威を無視し続けたならば、「暗やみに」放り出されるしかない。

だから、「地を従えよ」と言われたのに、それをしなかった人生は、無駄である。

100億円の資産を蓄えても、それを神の国のために使わなかったら、それは何の価値もない。

自分にとって無益である。

自分が生きている間、最善を尽くして神の国のために働くことである。

そうしないと、大変なことになる。

 

 

2014年3月24日



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