気を散らす悪魔の働きを退けること
ある時から、予知ができるようになった。
何かが起きる気配がする。
東日本大震災の前年に、洪水で船が水の上を漂っている姿が見えた。
その年2010年の6月、つまり震災の9か月前に千葉から青森まで、海岸線に沿って車で移動した。
初めて三陸海岸を旅行した。
津波が来るからというわけではない。一度行かなければならないと思ったからだ。
相馬あたりを通ったときに、あまりにも海抜の低いところに町があったので、津波が来たら被害が出るなと思った。
気仙沼の市場でお土産を買った。
青森八戸で一泊し、翌日、「キリストの墓」なるものがある戸来村(新郷村)に行った。
大間からフェリーで北海道に上陸し、帰郷した。
最近はそういうこともなくなったが、2010年ころまでは、であったり、行ったりしたところに、変なことが起きることがよくあった。
ある教会に行き、礼拝に出て、牧師と少し話し、翌週訪れると眼帯をしていた。
片目が失明したという。
またある教会に行って、翌週訪れると、あの後でボヤが出て新築の教会が燃えたという。
ある関西のクリスチャンの兄弟を訪問して東京に戻ると、あのあと、そのクリスチャンの家が全焼したと報告があった。
ストーブの火が引火したと。
川口氏とはじめて会った後、しばらくして訪問すると、首にわっぱをはめていた。
大型トラックに追突されたと。車が前の車との間に挟まれて「への字」に曲がるほどの衝撃だった。
こんな話がまだまだある。
私が赴くところでは、戦いがあるのだろうと思う。
それまで、現状維持に満足していた霊的な領域に私が入って奪回したので、悪霊が騒いで試練を与えるのではないか。
川口氏もいろいろ体験してきた。
伝道をすると、素直に聞いていた相手が、しばらくしてからまったく逆の反応をする。
家の中で誰かが怪我をしたとか、舅が猛反対したとか。
ある副牧師と私と川口氏の3人で、川口氏の事務所で日猶同祖論について話しあった。
当時、この副牧師は、私よりもはるかに知識があった。
彼は興奮しながら帰っていったが、奥さんのお父さんの牧師が猛反対したということで、私たちとは接触しないことにしたといってきた。
川口氏と、「またですね。」と話した記憶がある。
HPの読者の一人が、私に献金をしようとしたら、急に父親が「おまえ、変な宗教とかかわっているんじゃないだろうな」と怒り出したという。
その件について全然伝えていなかったのに。
それで私が常々、「この働きにかかわると、変なことが起きる」と言っていた意味がわかったといった。
川口氏の場合、霊的な世界に目が開かれ、この活動を始めた1996年から、奥さんがおかしくなった。
どこか遠くを見ているような目になった。
心ここにあらずのような。
いっしょに祈れなくなった。
事務所で礼拝をしていたころ、私がメッセージを語ると、奥さんがどうも不審な動きをする。
気になってしかたがない。
まず奥さんが利用されたと思った。
非常に熱心なクリスチャンで、川口氏を教会に引き込むほど熱心に活動していた人が、別人になってしまった。
私はこのような多くの体験から、人を慎重にみるようになった。
周りの人々、それまで普通に接していた家族や隣人が、こちらを人間的な心配や思い煩いに誘いこむような働きをする。
そう。
サタンは、われわれを「人間に頼らせようとしている」のだ。
人間的な心配によって、御国の働きができないように、いろいろな手を使うのだ。
とくにお金を借りたらだめ。
お金を貸した人間にサタンが入る。
こちらをコントロールしようとする。
一番こちら側として注意しなければならないのは、「自分たちの側では人間に頼らないようにする」ということ。
たとえば、お金が足りなくなったとしても、「これがないとやっていけない」とか考えない。
「神が与えてくださる」と信じること。
そして、人間そのものを神の使いと思うこと。
人間そのものが救い主ではないということ。
そういうことをしっかりと認識しないと、人間に頼り、人間に期待し、人間に左右されるようになる。
そうすると、神の国の働きはできなくなる。
私を妨害しようとする人々は、悲惨な目にあってきた。
これは枚挙にいとまがない。
私は聖霊が語られることをそのまま「遠慮なく」語らねばならない。
人間的な配慮をすれば、私は自分を失う。
一生を誰かのために生きるようになり、御国の働きはできない。
だから、誰かのため=サタンのため、である。
神のために働くならば、その他のことは神が与えてくださる。
サタンは、われわれの親しい人を通じて、人間的な心配をさせようとしている。
「献身などして、生活はどうするのか。お前の道楽に付き合わされる家族の身になってみろ」とか。
その親しい人の意見を聞くとどうなるか。
確実に、その親しい人を巻き込んで地獄を作ることになる。
ヨナは、神の命令を避けて、逆の方向に向かった。
船に乗っているときに、暴風雨に襲われて周囲の人間を恐怖のどん底に陥れた。
神の命令に逆らうならば、自分が配慮した家族や親しい友人などを、不幸に巻き込むことになる。
逆の結果が生まれる。
これは、霊的な戦いで、人間の世界のことではないのだ。
われわれの気を散らして御国の働きができないように働いているサタンの策略を見ぬくべきだ。
そうして、まっすぐに神の国建設にまい進しなければならない。
2014年12月12日
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