人間は霊の家である
よく集会に出て、ぼんやりしている人とか、どんよりしている人を見かける。
明るさがない。何かふさぎこんでいる。
話を聞くと、秘密がある。隠れて占いをしているとか。
クリスチャンであっても、すきを作れば、入られるのだ。
一般に精神疾患にまとめ上げられているが、実際のところは霊の憑依である。
自分はギリギリのところまで行ったことがあるからわかる。
信仰に欠陥があると、そこからサタンが火矢を入れてくる。
防ぐことができるのは、信仰の大盾だけだ。
これらすべてのものの上に、信仰の大盾を取りなさい。それによって、悪い者が放つ火矢を、みな消すことができます。(エペソ6・16)
幸いなことよ。悪者のはかりごとに歩まず、罪人の道に立たず、あざける者の座に着かなかった、その人。(詩編1・1)
汚れた霊が人から出て行って、水のない地をさまよいながら休み場を捜しますが、見つかりません。
そこで、『出て来た自分の家に帰ろう。』と言って、帰って見ると、家はあいていて、掃除してきちんとかたづいていました。
そこで、出かけて行って、自分よりも悪いほかの霊を七つ連れて来て、みなはいり込んでそこに住みつくのです。そうなると、その人の後の状態は、初めよりもさらに悪くなります。邪悪なこの時代もまた、そういうことになるのです。(マタイ12・43-45)
2011年5月19日
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