新しい律法のゆえに旧約律法は廃棄されるべき?


<TN様>
「新しい律法を与える」とイエス様は仰いましたね。
即ち「互いに愛し合いなさい」と。
ですから旧約(律法)は不要だと教える牧師がいます。
でも私の単純な頭で考えますと、十一献金だけ旧約を宛て嵌めるのは不自然です。別の意図を感じます。

<tomi>
おっしゃるとおりです。

新しい律法は、とくに新しいものではありません。

なぜならば、イエスは律法を要約すると、神を力を尽くして愛することと、隣人を自分のように愛することであると言われたからです。

この新しい律法が現れたから旧約律法が不要であるというのは、新しい律法と旧約律法を対立したものとしてとらえているからです。

つまり、旧約律法を何か愛とは無関係なものと考えている。

これは、ディスペンセーショナリズムの考え方であり、イルミナティの仲間サイラス・I・スコフィールドの教えです。

旧約律法全体は愛の教えであり、それゆえ、旧約律法を守ることは愛を行うことです。

イエスは「小さな戒めでも破るように教える者はもっとも小さい者と呼ばれる」とありますので、私たちはこのような教えを教える人を重んじるべきではないでしょう。

つまり、教会の教師としてふさわしい人間ではないとみなすべきだと思います。

 

 

2012年9月18日



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