正直は最良の策
1986年にアメリカに滞在していたときに眼鏡を2度失くした。
1度目は、店でサングラスを選んでいて、展示用サングラスが多数かかった回転式のポールの上に自分の眼鏡を置いてサングラスを見ていたちょっとした隙に盗まれた。
2度目は、水上オートバイに乗っていたときに、眼鏡を座席の後部の凹みにおいたところ、ボートのように壁に囲われていて、外界と遮断された空間と思っていた凹みは、大きな穴が開いていて、そこから流れてしまった。
2度眼鏡を作った。
アメリカには、レンズを圧縮する技術がないのか、出来上がった眼鏡のレンズは分厚かった。
物損に関する旅行保険に入っていたので、日本に帰国してから、保険会社に連絡すると保障されるという。
証明は、同行の日本人の一筆があればいいと。
それで同行したクリスチャンに一筆書いてもらって提出したら、眼鏡の代金が振り込まれた。
警察の証明書なども必要ない。
(ちなみに、海外旅行する際には、病気や物損の保険に入るべきだと思う。
また、他人の子供を引率してどこかにキャンプに行く場合でも、損害保険に入るべきである。
前に所属していた教会の教会学校のキャンプで亡くなった児童がいた。
野外活動では何が起きるかわからない。)
「警察の証明書なしでも保険金が支払われる」。
この情報を受け取って、このシステムを悪用する者がいたとしたら愚か者である。
高い機材を盗難紛失したと虚偽の申告をして何万円か手に入れても、それによって失った倫理観のほうがはるかに損失は大きい。
お金を得るために詐欺をしたり、泥棒をしたり、嘘をついたり、捏造したりすれば、自分が腐る。
腐ったリンゴを誰が欲しがるか?
自分の過去の行動は、自分の存在を形作るので、過去に犯した罪は、今の自分の一部になっている。
とくに、腐れは、少しあるだけでも異臭を放ち、周囲はそれを理解する。
罪は犯せば犯すほど、自分を腐らせ、その分だけ異臭も強くなる。
それによって失う信用や機会は、金額に換算すると膨大な額になるだろう。
「正直は最良の策」なのである。
2015年8月14日
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