日本の霊的回復は明治維新から始まっている
明治天皇曰く「日本の元はユダヤ教が母体として入ってきたのだから、日本の天皇家の中心も、日本の国全体の中心も、その源はユダヤにある。それを完成したのがキリストでありキリスト教である」
http://www.millnm.net/qanda4/00C0TKaoqmAI95380.htm
日本書紀では神武天皇から始まる天皇家ですが、神武、崇神、応神の各天皇は秦氏系と言われ、主流から追われた海部、物部、蘇我、橘等の海人族は、主に紀伊半島内陸部に拠点を持ちます。
そして、天智天皇に脅威を感じた海人族・大海人皇子は吉野に隠棲を装い、百済色が強くなった天智系継体天皇陣営を一新して、海人王朝を樹立したのが壬申の乱であり、天武天皇です。天武天皇は伊勢神宮を創建しましたが、この吉野を中心とする勢力が後の南北朝時代の南朝の基盤となるのです。
http://ameblo.jp/ici05876/entry-11517008918.html
大室寅之祐は後醍醐天皇の末裔です。
彼は京都ではなく、長州にいたのです。そして毛利家が彼を保護してかくまっており、大室家を支えていたのでした。
かつて明日香のヒミコは天皇になろうとしてもなれなかったのです。
それは鎌倉時代末期のことで、南北朝時代に現われた北朝は、実はこのヒミコの流れを汲む家系でした。その後北朝では何とかして、そこから天皇を継続させようとして苦労したのです。それで足利義満が自分の娘たちをずい分と嫁がせたり、ついには北朝の女性を孕ませてその子を天皇に祭り上げたりしているのです。ということはこの時点で、すでに男系の天皇家の血が途絶えていることになります。神武朝とは異なるからです。
(中丸薫『古代日本人とユダヤの真実 日本はいかに天皇家を戴く神国となったか』)
そしてその後このことについて、長州藩にいた後北条家の末裔の志士や吉田松陰が、後の明治政府の中心になる人たちに、「やはり本来の天皇家の血筋に戻すべきではないか」と進言したのでした。そして幕末に、南朝の重要性を説かれて納得した伊藤博文や岩倉具視らは、南朝の後醍醐天皇の末裔に当るこの大室寅之祐に、徹底的に帝王学を教え込み天皇に仕立て上げたのです。
しかしこのことは、それまでの天皇家を軽んじたというわけではなく、むしろ本物の天皇の血筋に戻したと言えるのです。つまり大室寅之祐の魂は神武天皇の魂であり、新しい時代の天皇になるべくしてなった人なのです。
(同上)
2015年12月28日
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