三位一体は3人の神の契約的統一体である



三位一体の話題が出ていましたので、先ほどのような質問を致した訳ですが、ワンネス云々の方とは別人です。三位一体についての質問は今回が初めてです。

三位一体は高校の社会でも習いますが、辞典を紐解いても今一つ分かりにくい言葉です。

三位一体が「三人の神がおられ、この三人は契約において一つである」
ということであれば、三神一体と言うことであり、それなら日本人にも分かり易いと感じた次第です。

三つの位格とかペルソナとか辞典に書かれていますが、難解です。

「三位一体は人間には理解出来ない神秘。理性を越えて信じる事柄だ」と言う人もいますが、三人の神がおられると言えば、スッキリします。

そして三人は契約において一つであると言えば、三位一体を理解を超えた神秘などと説明しなくても済むように思いました。

自分の理解が正しいかどうか分かりませんけど、三位一体イコール三神一体と捉えて間違いはないでしょうか?

Molotov

そのとおりです。

3つの位格があるということは、3人の神がいらっしゃると同義です。

夫婦は、神の三位一体の似姿です。

夫も妻も一人の人間です。

しかし、結婚契約によって一体となり、一人として存在する。

似姿の本体である3人の神も契約によって一体となっている。

ここから、契約というものが、神の存在の根源にあることがわかります。

被造物の創造時に生まれたものではない。

創造以前に、神の存在そのものの中にあった本質的なあり方です。

だから、契約に対する違反は、神存在そのものの破壊を示す違反であり、似姿としての被造物が犯すことのできる最大の罪になります。

世界の理想の姿とは、すべての被造物が、個物として独立しながら、契約を完全に守り通して、神のようになることです。

神が互いの間の契約を破ることがおできにならないのと同様に、人間も契約を完全に守り通すことが人間存在の目標です。

汎神論は、個物としての独立性を失う教えであり、一位一体説です。

細胞が細胞壁を失って一つの巨大な細胞に吸収合併されるようなものです。

宇宙は、巨大な一つの細胞であるということになります。

このような世界観では、社会において個性は軽視されます。集団への一致がなによりも重視されます。

多神教は、個物の契約的一体を否定する三位三体説です。

細胞が個物と個物が独立し、いつまでも一体化しないで遊離しているような状態です。宇宙とは、ばらばらな個物の無機的な集合であり、このような世界観では、統一的な法則を見つけだそうとする科学は成立しません。

正しい世界観とは、個物は個物で独立しており、同時に契約によって互いに有機的に結ばれあって統一されるというものです。

このような世界観の社会では、個性を犠牲にすることなく、統一が達成されます。

三位の神は、それぞれ独立した一人の神であり、同時に、契約によって社会を形成し、統一体となっています。

この神が存在の根源であるため、人間社会もそのようなものになるべきです。

すなわち、個性も究極的な価値を持ち、統一も究極的な価値を持つ。

 

 

2015年7月24日



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