昨日祈っていたら、「イルミナティにまだ決定的な裁きが下らず、崩壊しないのは、罪が満ちていないからだ」と気づいた。
神は、「カナン人の罪が満ちていないので」イスラエルの侵攻を遅らせていた。
そして、四代目の者たちが、ここに戻って来る。それはエモリ人の咎が、そのときまでに満ちることはないからである。(創世記15・16)
エモリ人は、カナン人の一部である。
神が裁きを実行されるのには時期がある。
罪の目盛りが「裁きに値する位置」に達しなければならない。
神の計画は、イスラエルにカナンを征服させることにあったので、カナン人の罪を抑制されなかった。
つまり、カナン人がやりたいことを止められなかった。
同性愛、略奪、誘拐、人身御供、近親相姦、偶像礼拝、暴虐、獣姦…
文明が崩壊するときに、このようなものが増える。
神の裁きが恐ろしいのは、「こういうことをしても、誰も止めない」というところにある。
神は、あるレベルに達すると警告を停止される。
そして、逆に、人々の心を頑固にする。
神に対する反逆が固定化される。
誰も忠告もせず、不吉な現象も起きなくなったら、裁きが目前に迫っている。
神の法を無視するすべての人にこのことは起きる。
911を起こし、イラクに侵攻し、311を起こして多くの人々を殺した連中には、必ず裁きが下る。
罪を犯すならば、それに見合った裁きは必ず下る。
悔い改めるならば、赦される。
しかし、頑固に悔い改めを拒絶するならば、裁きは目前である。
もし誰も警告せず、静寂が訪れ、平和な日々を送っているならば、それが裁きの兆候である。
警告→静寂→滅亡。
神の裁きは、この順番を含む。
だから滅びが突然やってくるように見えるのである。
実際は、その前に預言者が送られているはずである。
何度も何度も御言葉が示されたはずである。
全部無視して「御言葉を無視しても何も起こらないじゃないか」と言っている矢先に滅亡が訪れる。
イルミナティの罪はまだ満ちていないようだ。
私から見れば、もう十分だろうと思うのだが。
彼らがコップ一杯に水を注ぎ、一滴がこぼれ落ちるそのとき、突如として裁きが襲う。
それまで祈り続けよう。