定義を変える必要がある
聖書的クリスチャンの使命は、世界を契約的に解釈し直すことである。
われわれの受けた教育では、無神論に基づいて世界を解釈する。
進化によって偶然に出来上がった世界、という考えを前提としている。
だから、そのような世界観で解釈された個物も、間違って解釈されている。
この、間違って解釈された世界の中で、間違った理解のもとで行動することは、クリスチャンにとって正しい生き方とは言えない。
万物を神の創造の文脈の中で解釈し直すべきである。
たとえば、ノンクリスチャンのある考えによれば、社会は、無関係な個人が互いに自分の利益を追求するために契約を結ぶことによって成立するという。
しかし、聖書的クリスチャンは、社会とは神の国の一部であり、被造物を最大限に発展させ、それによって神の栄光を表すために存在する個人から成る有機的集合体である。
それは、あたかも人体のようである。
それぞれの個人は細胞である。個人は家庭を形成し、家庭は地域社会を形成し、地域社会は国家を形成する。
国家と国家は国際社会を形成し、国際社会全体は一人の人間のようにふるまい、神の栄光のために働く。
これが本来の社会である。
各社会は、一人の法的人間として神の栄光のために持ち場を管理する。
神はこれに失敗した社会に対して警告を与え、呪い、生産力を落とし、それでも言うことを聞かなければ、滅ぼされる。
同性愛に染まったソドムとゴモラという地域社会は、神の役に立たないので滅ぼされた。
堕落したローマ帝国も滅亡した。
個人だけではなく、家庭や地域社会、国家、国際社会は、神に対して責任を負っている。
神の国建設という大目標に貢献しない社会は滅ぼされる。
われわれは、自分個人についてだけではなく、家庭や地域社会、国家、国際社会について管理責任を問われる。
このように人間が被造物である以上、神に対して責任を負う存在であり、神に対して逆らうならば、滅亡以外の運命はない。
それゆえ、われわれ、聖書的クリスチャンは、社会について、自然について、他のあらゆる事柄について、それを神の国の一部として認識し、契約的に定義しなおす必要がある。
今のような世界についての間違った定義(つまり、進化によって成立した、神に責任を負わない世界という定義)では、自滅は回避できないので、早急に聖書に基づいて定義を変える必要がある。
そして、神の法に基づかないものを排除し、神中心の社会を建設しなければならない。
契約の5条件に基づいて世界を把握すべきである。
たとえば、自分の仕事が製造業ならば、
1.主権
この製造の主権者は神であると認識する。
2.委任
自分は神にこの商品の製造をゆだねられていると自覚する。
3.神の法
自分は神の法にしたがって製造業に従事すると決める。神の法に逆らうような仕事はしないと決意する。
4.賞罰
自分が神の法に逆らって邪悪な心で仕事をし、取引先や顧客をだますようなことがあれば、呪いを被ると自覚する。
5.継承
自分の製造業が神の国建設のためであるから、その事業を信仰を持つ者に継承し、次世代において発展できるようにする。
こういった定義をしないならば、神の呪いを被る確率が高まり、長期的に繁栄できない。
自分に関係するものすべてについてこのような契約の枠組みを用いて定義しなおすべきである。
2013年11月24日
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