とげのついた棒をけるな



私たちはみな地に倒れましたが、そのとき声があって、ヘブル語で私にこう言うのが聞こえました。『サウロ、サウロ。なぜわたしを迫害するのか。とげのついた棒をけるのは、あなたにとって痛いことだ。』(使徒の働き26・14)

イエスへの迫害は「とげのついた棒をける」ことであるとここで言われている。

ということは、イエスは「とげのついた棒」である。

われわれは、自分を捨てて聖霊に従い、成長すると、イエスに近づく。

つまり、われわれも「とげのついた棒」になる。

それゆえ、われわれに対する迫害は「とげのついた棒をける」ことに等しい。

聖霊に従わず、聖書に従わないならば、われわれには「とげ」が少ないので、われわれを迫害しても相手にダメージは小さい。

しかし、われわれが聖書と聖霊に従っているならば、「とげ」は多いので、ダメージが大きい。

蹴れば蹴るほど、足は血だらけになる。

執拗にミレニアムの活動を批判したあるクリスチャンが、左折するダンプに巻き込まれて死んだ。

われわれの活動を妨害したあるクリスチャンは、脳腫瘍になって早逝した。

ある誌上議論でこちらに不当なハンディを負わせた人が、最近早逝した。

私を不当な教会裁判にかけて追い出した教会は直後に大騒動が発生して分裂し、信徒は四散した。

悪魔的な嫌がらせをした会社は吸収合併され、今は社名も残っていない。

こちらの聖書的指導に忠実にしたがっていた間はよかったが、無視するようになった精神に問題を持つクリスチャンがいた。

こちらの指導から離れて自分勝手な方法を採用し、自滅し、自死に至った。このような人が2人いた。

こちらが聖書的でなく、聖霊を無視するクリスチャンであるならば、ダメージは少なかっただろうが、聖書的で聖霊に従おうと努めるクリスチャンであったために、悪魔の憑依を受けた。

聖書的という意味において、ミレニアムは、最先端の団体なので、われわれに逆らうことは、自滅を意味すると言ってよい。

われわれ自体には価値はない。

しかし、われわれが聖書的であろうと努力する場合に、重大な価値を持つ。

地上におけるイエスの代理者である聖書的クリスチャンに反逆することは、イエスに反逆することであり、それは「とげのついた棒をける」ことを意味する。

 

 

2016年5月30日



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