どちらが権威か?2


海外で剣道がさかんになってきているが、海外の剣道家は、剣道の技術や儀式を長年培ってきた日本を本家とみなし、権威とする。

なぜならば、外国ではまったく存在しなかったものに長年携わってきた歴史が日本にあるからである。

被造物が造られる前に、神しかおられなかった。

だから、この世界に関して、神が権威である。

時間の長さだけではなく、この世界は神が創造されたのである。

創造者が被造物に対して権威を持つのは当たり前である。

われわれ被造物にとって、基準は「神ご自身」である。

人間は、神に似せて創造されたので、「一であると同時に多である」。

人間は個別性と集団性を併せ持っている。

夫婦はそれぞれ個人であるが、しかし、契約を結んで「一人の法人」になる。

社員はそれぞれ個人であるが、しかし、契約を結んで「一人の法人」になる。

この「一と多」のありかたの根源は、神にある。

神ご自身が個別性と集団性を併せ持っているのである。

神は3人おられるが、契約的に「一人」である。

人間と人間社会の基準は、この神の個別性と集団性にある。

人間の家族は、「神の家族」を模範として形成されるべきである。

三位の神は、互いに誠実である。

だから、家族の構成員は互いに誠実であるべきである。

御父は御子に栄光をお与えになる。

だから、父親は子供を侮辱してはならない。

御父は御子に愛をお与えになる。

だから、父親は子供を愛さなければならない。

御父は御子に真理をお与えになる。

だから、父親は子供に嘘を教えてはならない。

進化論のような嘘を教えるような教育機関に子供を預けることがどのような意味を持つのか。

三位は、互いに互いの存在を尊重する。

だから、われわれは他人のいのちを尊重しなければならない。(*)

三位の神を模範とする人は、神の守りがあるので、必ず勝利する。


(*)


人の血を流す者は、人によって、血を流される。神は人を神のかたちにお造りになったから。(創世記9・6)

人は「いのちの根源」である神のかたちに創造されたので、「いのちは保障されるべきである」。

「不法に人のいのちを奪う」ことは「神の存在を無にすること」につながる。

つまり、この世界の根本的システムに対する否定であり、根本的革命である。

この世界は神のために創造されたので、その神存在を否定することは、根本的な挑戦であり、絶対に許されない。

だから、殺人者を処刑しないシステムは、神に対する根本的反逆のシステムである。

 

 

2017年11月18日



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