物質的な刈り取りができないなら不毛な土地と判断します


もし私たちが、あなたがたに御霊のものを蒔いたのであれば、あなたがたから物質的なものを刈り取ることは行き過ぎでしょうか。(1コリント9・11)

彼らは確かに喜んでそれをしたのですが、同時にまた、その人々に対してはその義務があるのです。異邦人は霊的なことでは、その人々からもらいものをしたのですから、物質的な物をもって彼らに奉仕すべきです。(ローマ15・27)

伝道や牧会は、種を蒔いて、実を刈り取る農作業のようなものである。

パウロは「御霊のものを蒔」き、コリントの教会の人々から「物質的なものを刈り取」った。

霊的なメッセージの恩恵を受けながら、お返しをしない人は、「不毛の土地」である。

なぜ不毛なのか。

御霊のものを成長させるだけの「素質」がないからである。

いわば「それ向き」ではないのである。

土地が稲作に向いていない場所でいくら苗を植えても育たない。

いくら「御霊のものを蒔」いても「物質的なものを刈り取」れないのは、もともと「それ向きの土地」ではなかったからである。

つまり、選ばれていないのである。

神に予定されていないから霊的なメッセージをいくらこちらが発信しても物質的な刈り取りができない。

メッセージを受け取りながら、金銭的な報酬を提供しないような人は、救いに予定されていない。

だからある時点でブロックします。

 

 

2018年10月5日



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