カトリックのミサの起源1
エドワード・ヘンドリーのSolving the Mystery of BABYLON THE GREATに、カトリックのミサの起源について述べられている。
それは、ユダヤ教の過越祭にあるという。
カトリックのミサにおいて、イエスは侮辱されているが、これこそが、なぜカトリックに改宗した隠れユダヤ人がミサを高く評価する理由である。
ユダヤ教は、キリストの十字架以降、洗練されてきた。ユダヤ教に侵入したバビロニア魔術は、キリストとクリスチャンを攻撃の対象としていた。
ユダヤ人たちによってカトリック教会に吹き込まれた要素であるカトリックのミサは、その敵意のひとつの現われでしかない。
ミサとは、正統派ユダヤ人たちが祝っていた堕落した過越の儀式を「キリスト教化した」ものである。
過越は、旧約聖書において神が開始された聖書的なお祭りであった。
ユダヤ人たちが自分たちに都合の良い反キリスト的な解釈を施してきた結果、過越祭は、自らの聖書的ルーツを判別できないほどにまで変形してしまった。
正統派のユダヤ教において、過越はイエスに対する憎しみを表現する儀式となっている。
「あなた方は自分の言い伝えを守るために、神の命令を拒んでいる」(マルコ7・9)。
アリエル・トウフは、著書Pasque di Sangue (血の過越)において、この事実について説明している。714
話を進める前にアリエル・トウフについて説明しよう。
トウフは、イスラエルのテルアビブ郊外にあるバー ・イラン大学でユダヤ・ルネッサンスおよび中世史の教授である。715
『血の過越』の英訳者であるギラン・マルコ・ルチーズ及びピエトロ・ ジアネッティによると、トウフ教授は、この本を書くのに最適の人物であるという。
というのも、彼は「ラテン語、中世イタリア語、ヘブライ語、 イーディシュ語の原文だけではなく、英語、フランス語、ドイツ語、イタリア語の派生文献にも徹底して精通している」からである。716
トウフ教授は、ユダヤ人の間で非常に尊敬されているラビの家系に属するユダヤのインサイダーである。
彼は世界で最も尊敬されているラビの1人であるエリオ・トウフの息子である。
エリオは、かつてローマのチーフ・ラビであり、イタリアのユダヤ人社会の長老とみなされていた。
エリオ・トウフを「ユダヤ人の法王」と呼ぶ人もいる。
ローマにおけるラビ・トウフの影響力は巨大であり、彼はヨハネパウロ2世が自らの遺言において名前を挙げた2人の人物の1人であった。717
トウフによると、ユダヤ教、特に過越の祭りは、キリストとクリスチャンに対する憎しみの祭典に堕した。
このユダヤ・ゲルマン世界の深部に流れる大衆魔術の潮流は、長い間ユダヤの宗教的な法律の基本的な枠組みをゆがめ、その形態や意味を絶えず変えていた。
キリストの受難をあざける記念式の神学的な正当化は、ユダヤの伝統―これはいわば、正統なのである―におけるこれらの「変化」にこそ、求められようとしていた。
祝宴の儀式に加えて、再開されようとしていたこの記念式の目的は、イスラエルの長い歴史を通じて何度も生まれ変わって登場してきた憎むべき敵(パロ、アマレク、エドム、ハマン、イエス)に対する復讐の実行にあった。
逆説的に、複雑で統一性のないこの過程において、キリスト教文化に特徴的な要素が、ユダヤ教の教義の内部において―ときに、無意識的ではあるが、しかし、恒常的な倒錯を経つつ―新しい形態と意味を帯びて回復するのが観察できるかもしれない。
これらの教義は、結局、ユダヤ教によって、象徴的に異常化され、歪曲された。
ユダヤ教には、執念深いクリスチャンの迫害者が意図せずに押し付けた、敵対と憎しみの対象である宗教の基本的な要素と特質が深くしみ込んでいる。718
トウフ教授の著書の初版は、激しい議論を巻き起こした。この議論に対して、当初「私は真理に対する献身を捨てない」と述べていたが、結局、圧力に屈し、出版社に出版の差し止めを命じ、印税の全額を『名誉毀損防止同盟』(ADL)に寄付すると述べた。…
トウフによると、過越の食事は、クリスチャンに対する儀式的な呪いに変化した。
中世において、正統派のユダヤ人たちは、過越の食卓の上にワインを振りかけた。
これは、復讐に燃えるユダヤ人たちによる、クリスチャンに対する血の憎しみを象徴する。
ユダヤ人たちはワインを、過越の儀式の不可欠な部分として利用した。
その目的は、キリストの最後の晩餐への侮辱である。
ワインは、神がお定めになった過越の祝宴には含まれていなかった。
本来の過越は、神がユダヤ人たちをエジプトの奴隷状態から解放された事を祝うために行われた。
過越のさらなる目的は、世界から罪を取り除く神の犠牲の小羊であるキリストの来臨を期待することであった。ヨハネ1・29を参照せよ。
2016年2月12日
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