メイチェンの正統主義を守る戦いの本質はパリサイ人との戦いであった


http://www.yamatani-eriko.com/old/press/press25_3.html
>この対談で気になったことが一つあります。
>それは 登校拒否ないし不登校についての彼らの見解です。彼らの頭の中には公立学校教育ないし国家(文科省)管理下の教育に対する無条件的信頼感が存在する、もしくは存在させなけ
>ればならないという理念が存在するように見られます。

>彼らの対話には神道を味付けに使ったヘーゲル的国家主義が見え隠れしているように見えます。(たとえ彼らが家庭教育を重視するという発言をしていてもそれはあくまで 国家の規定した国家論に反対しない限りの家庭教育であるように見えます)

>元来、聖書の教えるところでは、教育は国家が為すことではなく、家庭が行っていくものです。 
>登校拒否、不登校の問題は 教育が国家によって遂行されるという誤った理念の生み出した副産物であると私は見ております。(ホームスクールは登校拒否や不登校と同一視されるべきものではありません)

>健全な国家観は 両親が教えるべきものです。学校などで教えられなくても聖書的教育をホームスクールで行うなら、子供たちは健全な国家観を持つようになります。(もっとも日本でホームスクールをしていたグループはほとんど左よりでしたが すべてのホームスクーラーがそうであるわけではありません)

ご指摘のとおりだと思います。

国家主義は、カントの「人間教」に基づくヘーゲルの社会進化論思想が源流です。ヘーゲルからマルクスが生まれました。

つまり、戦後日本の国家主義は背後にタルムードユダヤ人がいて、世界から神を追い出す動機があります。

ちなみに、ゲイリー・ノースのCrossed Fingersによると、メイチェンの正統派キリスト教を守る戦いの敵の源流を探るとユニテリアンが作り出した高等批評があったといいます。
(Gary North, Crossed Fingers, ICE, xxix)

Henning Graf ReventlowのThe Authority of the Bible and the Rise of the Modern World (1980)では、聖書の高等批評の起源は、1630年代からのイギリスのピューリタン主義に対する反応であったと言われている。

ピューリタンは、法律の基礎を旧約聖書に置かねばならないと考えていた。つまり、セオノミー。

反ピューリタン陣営は、これに対して対抗措置を講じた。

それが、高等批評であり、R.B. Mullinはこの聖書の文献学的本文研究をいみじくも「ユニテリアン」と呼んだ。

この方法は、合衆国のリベラル陣営が伝統(legacy)とするものであり、1875年以降、彼らによって大きく発展した。

つまり、メイチェンに対抗したリベラル陣営が依拠していた高等批評という聖書研究の方法の起源は1630年代の「反ピューリタン」陣営にあり、彼らはユニテリアンであったと。

もちろん、ユニテリアンとフリーメイソンは深い関係がある。

「ユニテリアン・ユニバーサリスト教会は初めからフリーメイソン及びエリートオカルト家系に属する人々によって占められていた。トマス・ジェファーソンは、イルミナティであると同時にユニテリアンでもあった。フランクリンがペンシルベニア州のフリーメイソンのグランド・マスターであったときに、メーン州ポートランドのユニテリアン教会の創設者トマス・オクスナードは、全北米フリーメイソンの地域グランド・マスターになった(1743-54年)。新思想ユニテリアンの初期のメンバーWilliam Ellery ChanningとRalph Waldo Emersonは、フリーメイソンであった。…」
http://pentracks.com/2016/03/illuminati-connections-to-unitarian-universalist-church-29-mar-16/

フリーメイソンはパリサイ派ユダヤ人(タルムードユダヤ人)による作品であり、それゆえ、メイチェンの戦いの本質はパリサイ人との戦いであった。

 

 

2016年8月6日



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