科学だけでやっていけると考えるのは大きな間違い


「今の科学の時代に宗教なんて馬鹿げている。カルトだ」という考え方を現代人はする。

非常に偏った教育を受けているからだ。

科学は、宗教を批判できない。

なぜならば、科学は、データを集めて、そこから普遍的法則を導き出すのが任務だからだ。

データを集めることができない死後の世界、神の存在などについて、科学は何も発言できない。

厳密に言えば、科学は、次の瞬間に手を放したコップが下に落ちることを証明できない。

これまで100億回コップが下に落ちたとしても、それは経験的知識であって、引力が必ず働いて下に引っ張ることを証明できない。

科学は、たとえるならば、大きなチーズに穴を開けて少しずつ食べることはできるが、全体を食べることは無理である。

世界というチーズ全体を前にして、科学者ができることは、小さな領域について証明することだけである。小さな穴を開けることだけ。

これが論証的認識論の限界である。

全体を食べようとすると、それは、論証的認識論を捨てることになる。

宗教や世界観はチーズ全体を食べるためにある。

データを集めずに「神は世界を創造された」と結論する。

このような認識論を科学も取ると、科学は科学であることを止める。

それは宗教や世界観になる。

たとえば、ある人が、物理法則と心理学の法則を連関させて何かについて自分の説を述べると、それは論証的認識論ではなく、直感的認識論である。

よく科学者がTVのコメンテーターとして呼ばれて専門外のことを言う場合、それは、彼の宗教・世界観を披歴したのであって、科学的真理を述べたのではない。

なぜならば、彼は直感を用いる以外にはないからだ。

われわれは、社会生活を送るためには、不可避的に宗教家にならざるを得ない。

科学によってチーズ全体を食べることは不可能である。

チーズ全体を食べるには宗教・世界観を持つ必要がある。

われわれが社会生活を送るには、世界全体について意見を持つ必要があるので、どうしても宗教・世界観を持つ必要がある。

われわれにとって、科学とは、自分の宗教・世界観を補強するための道具でしかなく、科学だけでやっていけると考えるのは、大きな間違いである。

 

 

2012年10月2日



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