自分の人生を無益にしたいなら、真理よりも結果を求めろ



イエスは多くのことを、彼らにたとえで話して聞かされた。「種を蒔く人が種蒔きに出かけた。
蒔いているとき、道ばたに落ちた種があった。すると鳥が来て食べてしまった。
また、別の種が土の薄い岩地に落ちた。土が深くなかったので、すぐに芽を出した。
しかし、日が上ると、焼けて、根がないために枯れてしまった。
また、別の種はいばらの中に落ちたが、いばらが伸びて、ふさいでしまった。
別の種は良い地に落ちて、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍の実を結んだ。
耳のある者は聞きなさい。」(マタイ13・3-9)

神の国は、気づきを通じて発展するので、ある真理に気づいた場合には注意していただきたい。

必ずサタンが働くから。

サタンは、カラスのようにやってきて、あなたの頭の中に入った情報を奪い取るかもしれない。

別の思想を提供して、その気づきを奪うかもしれない。

または、日照りのような試練を与えて、あなたを弱らせるかもしれない。

牧師や伝道者や、他のクリスチャンの欠点を見て、つまづくかもしれない。

教会に愛がないという批判の心が起きるかもしれない。

ちょっとした言葉につまづいて嫌悪するかもしれない。

いばらのような誘惑がやってきて、その気づきをふさいでしまうかもしれない。

「この真理を実践すると、自分は貧乏になり、社会的にも変人として扱われるだろう」というすけべ心が起きるかもしれない。

以上は、「真理を悟るが実を結ばないクリスチャン」の例である。

これは、古今東西人類に普遍的にみられる現象である。

こうやって、ほとんどの人々は、無益な人生を選択してきた。

人生でどれだけの苦労をしたかしれないが、神からの気づきを捨てた時点で失敗者である。

永遠の財産を失ったのだから、究極的失敗者である。

真理を学んだら、それを誰にも奪われないようにしっかりとしまっておかなければならない。

それが発芽して、実を結ぶまで忍耐しなければならない。

「すぐに結果がほしい!」という短気な人は、神の国の働きには向いていない。

場合によっては、自分の世代では徹底して挫折するかもしれない。

最初から最後まですべて失敗の連続で終わるかもしれない。

それでも真理を優先できなければ本物にはなれない。

神の国は世代を超えて発展させるべきもの。

だから、企業経営とは違う。

牧師や伝道師に短期的な結果を求めてはならない。

教会を拡大したとか、宣教師を世界に派遣したとか。

短期的な結果を求めると、内容をいじるようになる。真理が毀損される。

だから、彼らに対する評価は「どれだけ信者を集めましたか?」ではなく、「どれだけ真理を守っていますか?」でなければならない。

今、教会員が数名であっても、そんなことは忘れろ。

人気などくそくらえだ。

真理を守っていれば、必ず神が成長させてくださる。

しかし、その成長の時期は、神の一存である。

われわれの知ったこっちゃない。

われわれは、やるべきことをやる。発展させてくださるのは神。

妥協したらすべては終わる。

自分の人生を無益にしたいなら、真理よりも結果を求めろ。

 

 

2011年3月4日

 

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