ウェストコットとホートのオカルト関係1


19世紀後半以来、ほとんどすべての新約聖書翻訳は、ウェストコットとホートのギリシャ語テキスト(1881年)に基づいている。

1978年に初版が出たNIVは、ネストレ・アランドギリシャ語テキストに基づいているといわれているが、これは、ウェストコットとホートのテキストと似ている。というのも、ウェストコットとホートのテキストもアレキサンドリア・ギリシャ語テキストに基づいているからである。

アレキサンドリア・テキストとは、シナイ写本とヴァチカン写本である。シナイ写本は、1844年にシナイ山のふもとの宗教施設のがらくたの中から発見された。ヴァチカン写本は4世紀の文書であるが、1481年にローマのヴァチカンにおいて発見された。いずれのギリシャ語テキストも、エジプトのアレキサンドリアにおいて、もしくは、その近郊において記されたと考えられている。

ウェストコットとホートが1881年のギリシャ語テキストのために利用したシナイ写本とヴァチカン写本には、3世紀と4世紀のグノーシスの強い影響があるかもしれない。

社会及びクリスチャンの会話に含まれる弁証の利用に関する権威ディーン・ゴチャーは、自身のウェブサイト(http://www.authorityresearch.com/ARTICLES_Other/Source of the King James Bible.htm)においてこのように述べた。


信仰は、神の御言葉に関する人間の意見を聞くことによるのではなく(人の意見によって確実さや確信、回心が生じるわけではない)、神の御言葉そのものを聞くことによる。自分が聞き、読み、学び、説教し、教えているものが神の御言葉であるかどうかということに確信を持つことは重要である。「人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つの言葉によって生きる」。イエスはこの申命記8章3節から引用された。

最終的にTextus Receptusつまり「公認本文」(1633年)と名付けられたものを最初に提供したのは、エラスムスであった(Novum Instrumentum omne, 1516)。

これは、「マジョリティ・テキスト」つまりビザンチン(シリア)テキストに属するいくつかの写本をもとに編集されたものである。マジョリティ・テキストとは、東方教会が、西方教会(ローマ・カトリック教会)による破壊から守った多数の写本や断片からなる。

西方の世界がマジョリティ・テキストと出会うことになったのは、1453年のオスマン帝国がコンスタンチノープルを占領してからである。東方のクリスチャンが西側に逃げた結果、これらの写本が西方の学者たちの手に入るようになったのだ。

今日、プロテスタントの教会をもう一度ローマ・カトリック教会の支配下に戻そうとする大きな動きがある(「エキュメニカル」運動)。

Textus Receptusの評判を落とし、神の言葉として扱わず、グノーシスのテキストの「光」のもとで神の言葉を審査し(拒否する)ことによって、プロテスタント教会は、誘惑と騙しと操作の中にあり、健全な教義の説教や教えから引き離され、単なる人間の意見を語るように導かれている。

 

 

2013年8月8日



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