聖書的教育を確立しない限り、問題は解決しない
社会制度を変えても金融制度を変えないと意味がないとすでに述べた。
不換紙幣制度、中央銀行制度がある限り、われわれは途方もない収奪の犠牲者のままである。
人々が実質的な労働の価値を提供する社会の中で、一人だけ紙きれにハンコを押して渡すだけの仕事の者がいる。
彼は、印刷代だけではなく、その紙面に印刷されている金額の国債を受け取ることができる。
彼が印刷すればするほど、その額面の価格の国債が手に入り、しかもそれに金利がつく。
社会において一人だけ釣り合わない利益を得る者がいるということそのものが、他の無数の人々が犠牲者になっているということを意味する。
だから、この「ぼったくり」の金融制度を改革しない限り、われわれは正当な労働の果実を得ることはない。
実は、金融制度を変えても、教育制度を変えないと意味がない。
なぜならば、教育によって、人間は幸せになるか、不幸になるかが決定するから。
十分な収入があって、時間的余裕もある。
しかし、気分がすぐれない、うつ状態である、そんな人が多い。
なぜか。
霊的な問題を知らないからだ。
教育が間違っている。
デカルト以来、われわれは機械論的世界観に支配されている。
つまり、世界は霊の働きで動いているのではなく、純粋に物理化学的法則のみに基づいて動いていると。
気分がすぐれないのは、霊的な攻撃ではなく、物理的もしくは化学的、生理学的な原因であると。
だから、その原因を取り去るために治療薬を処方せよと。
違う。
まず考え方を変えない限り、だめである。
この世界は、神が創造された世界である。
そして、人間は、地上を、秩序と平和と義と愛があふれる神の国にするために創造された。
しかし、それを妨害し、世界を地獄にしようとしているサタンと悪霊がいる。
彼らは、人々が世界を神の国にしようと努力するたびに攻撃をしかける。
対象を無能化するまで、精神に介入し、幻想や幻聴、妄想、恐怖などを送り込んで、注意を神の国に集中できないようにしている。
神の国のために活動する人々の経済を破壊して、それ以上何もできないようにしている。
神の国のために活動する人々の社会的影響力を弱めるために、デマやプロパガンダを流す。
場合によっては命を狙う。
今日の教育では、こういった聖書が教える世界の仕組みを教えられない。
そのため、問題の原因をもっぱら機械論的にとらえ、霊的にとらえることができない。
霊的な対処の方法を聖書から学ぶことがないので、問題はいっこうに改善しない。
中央銀行家や銀行家による搾取がたとえなくなったとしても、教育が間違っていれば、的外れな人生は終わらない。
聖書的教育を確立しない限り、問題は解決しない。
2015年9月18日
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