なぜ国が福祉をやらなければならないのか?
福祉の充実とか言うが、なぜ国が福祉をやらなければならないのか。競争原理の働かない官僚の世界が事業をやれば必ず無駄と寄生、利権が生まれる。福祉を民間にまかせて、市場原理によって費用対効果が最適な企業がサービスを提供するようになればわれわれの税金も有効に利用される。
自民党も「年金を充実させるには消費税は上げざるをえない」というが、ホームページの制作に5億円の予算を付けるような金銭感覚では、税金は利権者に吸い取られるだけ。なぜ官僚が「食育」推進をしなければならないのか。そのためになぜ「箱もの」を作らねばならないのか。利権の温床が増えるだけ。
基本的に、市場で要求されていないものは不要なのだ。市場において低い価値しかつかないもの、株を買う人がいないものは、淘汰されるべき。しかし、税金で運営されると、まず「理念」が先行する。「どうしてもこれは必要なんです!」と。官が電気店を開けば、売れないものばかり並びすぐつぶれるだろう
NHKも特殊法人で官のようなもの。市場原理で動かないから、誰も見ないようなアラビア語講座みたいな番組が次々と生まれる(アラビア語講座自体が悪いわけではない)。無用な仕事が増えても、「受信料」という税金で補てんされるから、その番組は生き残る。しかし、今やネットで語学は学べる時代。
NHKが高い費用をかけて放送しているものは、ネットで補うことができる。今の強制徴収の制度がなくなれば、NHKはものすごいスリム化を強いられるだろう。それでいいのだ。競争の領域が広がれば広がるほど、利用者はそれだけ利益を受ける。
敗者のことも考えろ?たしかに。平等は重要だが、結果の平等は悪。入口を平等にすればいい。再チャレンジがしやすい環境を作る。独占をできるだけ排除する。利権が生まれないように法律を整えることも重要。しかし、勝者に対して勝利の度合いに応じてペナルティを課せば、なぜ努力したかわからなくなる
「格差が広がれば貧乏になる」というのは、迷信である。格差と貧困を混同しているから、問題が見えなくなる。格差が広がっても豊かな社会は実現する。例えば、点数を多く取った生徒を表彰する学校と、その生徒にペナルティを課す学校と、どちらが全体の成績が伸びるか。もちろん、前者だ。
努力した人間をほめる社会と、努力した分だけペナルティが増す社会と、どちらが発展するか?もちろん、前者だ。累進課税制度はマルクス主義の制度であり、社会を後退させる。ソ連で実験済み。全員が最終的に同じ結果になる社会は、人間の醜い「ねたみ」という感情を肯定するので停滞する。
結局、努力した国と努力しなかった国の差は歴然と表れた。日本とドイツは勝ち、アメリカとイギリスは負けた。第二次世界大戦の結果と逆の結果になった。戦勝国という利権システムに乗ったことが逆に努力を嫌う国民を育てた。利権の中にいても努力でき、競争に耐えるだけの聖人はこの世にいない。
福祉国家とは、利権を拡大する国家であるから、国民は時間とともに無能化する。これ以上社会保障を充実させることにエネルギーを使うことは、資源配分という意味でも、国民を堕落させるという意味でも有害。20世紀初頭の4%の税金の時代のほうがアメリカははるかに活気があった。
今の社会主義制度を続けていけば、世界一勤勉で努力を好む日本人が腑抜けになる。かつて共産化・社会主義化された国々の再建が困難なのは、国民が政府に頼ることになれ、自主独立の気風を失っていることにある。これは、回復するのに相当な努力が必要。まず洗脳解除しなければならない。
2012年7月15日
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