クリスチャンは世界の王である


今朝、ある知人から電話があった。かねてから少しおかしいところがあることには気づいていたが、本日はっきりそれが出た。

超自然的な体験をしたという。天使を見たとか、いろいろな体験を披露した後、最後に「ある老人と出会った。彼はキリストだ」というので、「それは違います」といった。地上の誰もキリストにはなれない。「そのような考えは異端であり、信仰からの逸脱になりますよ」と警告した。

どうも、全般的に、クリスチャンの間に、キリストについて誤解がある。

キリストは、聖霊が下る代わりに天に昇られたとある。地上の誰かがキリストであることは絶対にない。キリストは「からだ」をもっておられ、そのからだにおいて、天におられるというのが聖書の教えである。


しかし、わたしは真実を言います。わたしが去って行くことは、あなたがたにとって益なのです。それは、もしわたしが去って行かなければ、助け主があなたがたのところに来ないからです。しかし、もし行けば、わたしは助け主をあなたがたのところに遣わします。(ヨハネ16・7)

そして、この助け主(聖霊)は、いつまでもわれわれ契約の民とともにいる。

わたしは父にお願いします。そうすれば、父はもうひとりの助け主をあなたがたにお与えになります。その助け主がいつまでもあなたがたと、ともにおられるためにです。(ヨハネ14・16)

「もしわたしが去って行かなければ、助け主があなたがたのところに来ない」のであり、「がいつまでもあなたがたと、ともにおられる」のであれば、キリストはすでに去られたということになる。

だから、キリストは今天におられる。

(ステパノは)こう言った。「見なさい。天が開けて、人の子が神の右に立っておられるのが見えます。」(使徒7・56)

キリストは、神の右におられる。

携挙によって、紀元70年のクリスチャンはキリストと会い、そして今もキリストとともにいる。なぜならば「いつまでも」ともにいると言われているから。

次に、生き残っている私たちが、たちまち彼らといっしょに雲の中に一挙に引き上げられ、空中で主と会うのです。このようにして、私たちは、いつまでも主とともにいることになります。(1テサロニケ4・17)

天とは、宇宙の玉座という意味である。

キリストは「宇宙の支配者になられた」という意味である。

じゃあ、地上にはキリストはおられないのか。

キリストはおられる。しかし、教会という形で。

教会はキリストの体である。

だから、教会はキリストの体であり、足である。その足によって、地を踏みつけ、従えておられる。

創世記1・28「地を従えよ」とは「地を踏みつけよ」と同義である。(原語「ラーダー」は「踏みつける、支配する」の意味)。

キリストご自身は天におられるが、その命令のもとに動く体である教会(エクレシア:つまり、クリスチャンの集合体)は聖霊とともに地上にいて、地上を踏みつける。

キリストはこの1・28の命令を成就された。

イエスは近づいて来て、彼らにこう言われた。「わたしには天においても、地においても、いっさいの権威が与えられています。(マタイ28・18)

人間が支配するところは、その人間の延長である。

自分の命令によって手足は動く。

それと同じように、自分の所有物は自分の一部であり延長である。

自分の会社は、社長である自分の命令によって動くから延長である。

仕事も財産も同じ。

だから、クリスチャンの集合体が働くところ、そこもキリストの体の一部であり、教会である。

自分が神によって導かれた職場、学校、組織も教会である。

自分はその組織において権威ではないから思い通りにならないかもしれないが、しかし、キリストによって導かれて上司に仕えるならば、そこで不十分ながらキリストの御心は行われている。

われわれはノンクリスチャンの上司に(御言葉の範囲内で)仕えることによって部分的に神に仕えている。

だから、不十分ながらそこも教会である。

英語の church はギリシャ語の形容詞 Kyriakos に由来します。これは、Kyriakon doma と Kyriake oike(つまり、「主の家」という意味)という形で使用されます。これらは、建物または制度を意味します。church と訳されている新約聖書の言葉は ecclesia であり、これは、むしろ「神の御国」を指しています。ecclesia は、本質において、契約の民を表す旧約聖書の言葉 edhah (つまり「会衆」)及び qahal (つまり「集会」)と等しいのです。ecclesia と同様に、edhah や qahal は、契約の民全体、政治秩序、宗教秩序、軍隊等を意味します。新約聖書の church は、礼拝、政治秩序、福祉、教育等、あらゆる側面における神の御国を指しているのです。(ラッシュドゥーニー『後千年王国説対無能宗教』)
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われわれは、このように神の国を理解すべきだ。

つまり、

(1)宇宙の王座についておられるキリストと、昇天したクリスチャン。

(2)すでにキリストの足であるキリストの体である教会(エクレシア)によって「踏みつけられ」ている足台である地上。

つまり、全世界はキリストの王国であり、クリスチャンは現在、キリストともに地上の王である。

だから人間としてのわれわれには力はないが、キリストの権威を帯びて、キリストの命令に従うときに、われわれはキリストとともに王になる。

ただし、自分勝手に動くと、癌になる。

われわれはキリストの細胞に過ぎないから、全体を害するならば、癌になり、切除される。

今の教会の主は別物になりつつある。キリストとは違うものが支配しつつある。

なぜならば、聖書を重視しないからだ。

まんまとフリーメイソンの教義である「切迫終末論」に毒され、クリスチャンが王であることを忘れてしまった。

だから、力を失った。

ポスト・ミレの信仰にたって、地上を支配することを始めるならば、われわれに力と富とがやってくるだろう。

世界を支配するだけの権力と資産が集まるだろう。

信仰を変えなさい!!

われわれは地上を変えることができると信じなさい!!

われわれは、自分の信仰のとおりに、現実が変化するのを見るだろう。

 

 

2011年4月22日

 

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