進化論は「弱肉強食で環境適者だけが生き残り、生物は進化してきた」というが、実際は、「強い者は弱い者を絶滅させない」。
ライオンはシマウマを全部食べない。
獲物がいなくなれば自分たちも消える。
このように、この自然界は次の2つの要素で成り立っている。
1.競争
2.調和
神はなぜばい菌を創造されたのか。
口の中にある菌がなければ、虫歯にならず、なんと幸いなことだろうか。
しかし、神は、虫歯や歯肉炎を起こすようなばい菌を創造された。
なぜ人間を苦しめるようなものを配置されたのか。
「人間が、適度の緊張を保ち、ボケたり、傲慢になったりしないように」である。
われわれは倫理的に弱い者なので、「完全な幸せ」に耐えられない。
人からあらゆるストレスを奪って、彼を常に快適な状況に置いたらどうなるだろうか。
必ずダメになる。必ず傲慢になり、自滅する。
「神とは誰か?」と言い始める。
傲慢になりやすいわれわれには、ストレスや痛みやトラブルが必要なのである。
自分にとって不快な環境に置かれない限り、われわれは、深くものを考えない。
常に表面的な判断しかできない人間になる。
そして、神を愚弄するようになる。
社会が極楽とんぼ化しないように、神は犯罪者を配置される。
神が人を誘惑して犯罪を犯させるのではない。
神はサタンが誘惑することを許容される。
犯罪者がいなくなれば、町はソドム化する。
日本人が勤勉で、規則を守る国民性であるのは、一つに、地震や津波、台風など、自然災害が多いからである。
四方を海に囲まれて外敵の侵入が少ない土地で、国民が堕落しないためには、適度の災害が必要なのである。
この世界は「善と悪の緊張状態」の上に成立している。
善人がだらけないために、悪人がいる。
聖書によれば、この世界は、開拓し、神の国を広める舞台として創造されたのであって、桃源郷として創造されたのではない。
われわれは、「開拓者」として生まれたのであって、「開拓したものを享受する者」として生まれたのではない。
神は、安逸を貪りたがるわれわれの尻をたたかれる。
陰謀論を否定する者は「この世界は善意だけで成立している」と信じる愚か者である。
善があれば、悪がある。
善と悪の緊張状態の中でしか、われわれは「まともには」生きられない。
聖書を読んでも自分に適用できないのは、訓練されていなからである。
訓練されている人は、ダビデの体験に納得する。
預言者の苦しみに同感する。
神の国のために整えられていない人にとって聖書は理解不能な本である。