戦争を正しく総括するための仮説3


昨年から今年にかけて、ソ連側の一次資料(書簡や報告書)を約1000ページ訳した(している)。

それを読むと、日本が必ずしも善の勢力であったとはいいがたいことがわかる。

関東軍には731部隊があり、戦争犯罪が行われ、その中心人物はハバロフスクにおいて裁判にかけられ、刑を受けた。

ソ連国境において日本軍が侵略の意図を持っていたことも、捕虜となった将官の証言でわかる。

関東軍による中国人に対する扱いが残虐であったこともわかる。

防塁を築くときに中国人を徴用するが、秘密がばれるのを恐れて、作業にあたった者たちを殺した。

当時の日本軍が命を軽んじていたことは、ソ連の侵攻が近づいた満州の町において白系ロシア人をスパイ扱いして処刑したことからもわかるし、戦争体験者の水木しげるの戦記ものを読んでもわかる。

「兵隊は紙屑を捨てるように自分の命を捨てろ」と教えられたという。

翻訳した文献には、日本は特攻隊だけではなく、戦車の下に爆弾をかかえて飛び込む作戦も行っていたと記されている。お国のため、家族の名誉のために進んで飛び込んだ。

満州の中国人や満州人は、ソ連が来たときに「日本のくびきから解放してくれた」と歓呼の声をあげて赤軍を受け入れた。

母親や親せきの話によると、徴用された朝鮮人に対する扱いは過酷だったという。

母の父親(つまり祖父)の経営する木工所の作業員の中に、兵隊として中国に行って中国人の首を切ったことを自慢する男がいた。

しかし、同時に、士官候補生だった私の父親の体験を聞くと、海軍はさしおいて、陸軍は規律が厳しく、また士官候補生に対しては非常に人間的な扱いをし、私的暴力、鉄拳制裁も禁止されていた。

併合ゆえに朝鮮人は日本人と同等の扱いを受け、属州であった台湾の人よりも厚遇されていた。

朝鮮に対しては、莫大な支援をして朝鮮の近代化を行った。

寿命も人口も2倍になり、教育も普及した。

インフラの整備が進んだ。

満州においても、朝鮮においても、日本統治下において生活は格段に進歩し、豊かになった。

このような相反する側面があって、われわれ以降の世代は混乱する。

日本はどのような国だったのか。

物事は単純に割り切れない。

日本人の中にまだ人権意識が低かったということは事実だろう。

死を尊ぶ武士道精神が影響しているのか。

しかし、アジアの人々を植民地から解放しようとした側面もあり、現地語をたっとび、大学を作り、精神的・物質的な独立を促したのも事実だ。

当時、日本は、近代化の途上にあり、完全には近代化されておらず、封建時代の古い思想、間違った思想に染まっていた。

私は単純に「昔から日本は全部正しかった」などというつもりはまったくない。

他の国民がそうであるように、日本人も間違いを犯す人間である。

戦争を正しく総括するには、過去を美化せずに冷徹に見つめる必要があると思う。

しかし、中国や韓国が一部を取り出して誇張し、過剰な反省を求め、またそれに応じることは間違いだと思う。

様々な要因を分析し、日本と日本人の実像に迫る努力の上に、はじめて正しい理解が得られると考える。

 

 

2015年2月1日



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