誰もキリストの支配の拡大を妨害できない


(1)
世界の歴史はすでに神の予定によって決定している。

映画とは、撮影された現実を映し出すものであるが、それと同じように、われわれの目の前で起こる現実とは、永遠の昔に神が予定されたことが具体化されているということでしかない。

神が絶対者であり、誰からも影響を受けない以上、神はあらゆることにおいて能動的である。

つまり、神が是認しない限り物事は起きない。

犯罪ですら、神の許可のもとで起きる。

その場合、神は罪の創造者ではない。神は、罪を犯す者の行動を抑制されないのである。

神はご自身の目的によって、罪人が罪を犯すのを放置される。

罪人は自分が望んだことを行い、罪を犯す。

われわれが、たとえば、薬物中毒などの罪にまで堕落せずに済んでいるのは、神の抑制の恵みがあるからだ。

もしその恵みが取り去られるならば、われわれは悪魔のように堕落する。

徹底して堕落し、もはや救われたいとも思わなくなる。

われわれが、かえってキリストを信じ、神の国のために働くことができるのは、もっぱら神の側の恵みによる。

神が選びによって、われわれを契約の中に入れてくださり、神の国のために働きたいと願うようにしてくださった。

だからすべてが神の恵みであり、われわれに功績は一切ない。

われわれが怠惰になって、神の国のために働くことを止めるならば、神はわれわれの代わりとなる人々を起こされる。

ある年齢まで素晴らしい神の器だった人が堕落して、神に反逆するようになるならば、それは、神がそのように選ばれたからである。

人間の側から見れば、「そんな勝手な」と思うかもしれないが、神は創造者であり、主権者なのでどのようにわれわれを用いるかは神の完全な自由意思による。

ユダのような恐ろしい罪を犯すことも神の配剤である。

つまり、ユダのイエスへの裏切りを妨害しないことに神は永遠の昔に決定されたのである。

われわれから見れば「ユダにならなくてよかった」ということなのだが、「神様、ユダが可哀そうです。あなたは彼をなぜ創造され、なぜあのような人生を歩むことを許されたのですか?」と問いかけることはできない。

なぜならば、われわれは、家臣だから。

われわれは、一介の被造物に過ぎないから。

われわれができることは、「神がそのように決定されたのは100%正しい」と言うことだけである。

主権者とはこういうものである。

(2)
左翼にしろ、保守にしろ、キリストに逆らうならば、問答無用に滅びる。

歴史は、神の支配、キリストの王国の建設に向かって進展するようにあらかじめ予定されているので、妨害する者は必ず滅ぼされる。

誰ひとりとして、キリストに逆らって生き延びることのできる人間はいない。

迫害者はなぜ存在するのか。

それは、神の国が非常な労苦によって拡大されることが神の御心だからである。

楽して広がるものではない。

苦難の中で拡大されることを神が決定されたのである。

そのために迫害者は選ばれている。

迫害者はその迫害のゆえに裁かれる。

キリストの御国の拡大を妨害するような人間は、永遠の刑罰を受ける。

よく「これだけたってもキリスト教が日本で広がらないのは、日本人にキリスト教が向いていないからだ」という人がいるが、まったく事実誤認している。

キリスト教が日本で広がらないのは、「神がそのように予定されなかったから」に過ぎない。

神の力が弱いために日本人が受け入れないのではなく、神が日本人の心を閉ざしておられるがゆえに受け入れないのである。


というのは、すべてのことが、神から発し、神によって成り、神に至るからです。どうか、この神に、栄光がとこしえにありますように。アーメン。(ローマ11・36)

「すべてのことが、神から発」するのである。

誰がキリストを受け入れて救われるか、誰がキリストを拒否して滅びるかは、神が決定されたのである。

人間から出ているものは一つもない。

救われる人は、どんな妨害があっても救われる。

滅びる人は、どんなに好条件があって滅びる。

クリスチャンホームに生まれて、何百回も牧師のメッセージを聞いて、救われるチャンスが無数にあっても、選びからもれていれば、滅びる。

「じゃあ、どんなに救われたいと思っても、救われないのか?」という人がいるが、「滅びに予定された人は、そもそも救われたいと思わない」のである。

聖書において、罪人とは、浅瀬でおぼれて助けを求めている人ではなく、深海の海底に1か月沈んで、しかも、心臓を鮫に食われてしまって完全に人間の体をなしていない人である。

救われたいとすら思わない。

救われたいとの願いを持つのは、神がそのような願いをお与えになったからである。

救いは最初から最後まで神の御心によって進む。

(3)
世界はいずれキリストの王国になる。

今はフリーメイソンの作った民主主義体制(デモクラシー)が世界に広まっているが、必ずキリスト体制(クリストクラシー)になる。

神の計画は絶対に成就する以上、誰が妨害しても、必ずクリストクラシーになる。

この体制において、支配者はキリストであり、その配下にいるクリスチャンである。

クリスチャンしか選挙権は与えられない。

聖書を神の言葉として信じる政党しか政党として認められない。

「なぜそのような独裁が許されるのか」と尋ねられるかもしれないが、「なぜならば、神の言葉は絶対だから」と答える。

世界は、「絶対不変のもの」と「相対流動のもの」とに分かれる。

神の言葉である聖書は絶対不変の基準であり、これは政体の前提にしなければならない。

相対流動のものは、人間である。

クリストクラシーでは、キリスト以外のいかなる人間も絶対化されない。

なぜならば、人間は罪人なので、常に裁きを必要とするからである。

その時々の民意によって為政者は選ばれるべきである。

ただし、「聖書を否定する異教徒」が選挙権を得ることはない。

なぜならば、聖書を絶対の基準とする人だけが神によって「地を従えよ」と任命されているからだ。

創世記1・28において、神はアダムに対して「地を従えよ」と命令された。

アダムは、そのとき堕落前であり、神のしもべとして生きていた。

ノアの洪水後、生き残ったノアの家族に対して「地を従えよ」との命令が再度与えられた。

これは、「神に従う敬虔な人だけが統治できる」という原則を示している。

だから、選挙権と被選挙権は、聖書信仰のクリスチャンにしか与えられない。

(4)
このクリストクラシーは、どのようにして達成されるのだろうか。

それは、民意による。

日本人や世界の民族が、自分の政体としてクリストクラシーがよいと判断しない限り、われわれは、クリストクラシーを樹立できない。

なぜならば、神の国は「自発的に広がる」ものだから。

革命や強制によって神の国が広まることは絶対にない。

銃をつきつけて回心させることができないのと同じように、民族を強制によって変えることはできない。

日本がクリストクラシーになるには、国民の大多数が「この体制がいい」と望むときに限る。

われわれの伝道の進展や神の国の拡大は、もっぱら「人に仕えることによって進む」のである。

暴力や強制、戦争、脅迫などは神の国の拡大の方法ではない。

(5)
神の国は拡大し、悪魔の惑わしは徐々に少なくなっていく。

キリストを主と呼ぶ人々の数は必ず増える。

それが神の計画であり、予定だからである。

 

 

2013年1月4日



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