1.
自然は堕落しており、基準にはなりませんし、堕落していなくても、基準として利用してはならない。
これは、宗教改革の基礎。神は「まことに食べるのに良く、目に慕わしく、賢くするという」木の実を食べるな、と言われた。
「神の子らは、人の娘たちが、いかにも美しいのを見て、その中から好きな者を選んで、自分たちの妻とした」(創世記6・2)こと(つまり、信仰ではなく、見た目重視で配偶者を選ぶ)が、寿命の短縮と、洪水を招いた。
そこで、主は、「わたしの霊は、永久には人のうちにとどまらないであろう。それは人が肉にすぎないからだ。それで人の齢は、百二十年にしよう」と仰せられた。(創世記6・3)
これは、基準は自然にはなく、神の法にあるということを意味する。
神の法よりも自然法を選択し、自然理性を重視し、聖書啓示を軽視するのは、ローマ・カトリック。
カトリックの「啓示よりも自然理性」という「ちょっとしたヒビ割レ」が、後に、啓蒙主義による「大決壊」を生んだ。
啓蒙主義によって西洋文明は徹底的に破壊され、今日、キリスト教は見る影もない。
「まことに食べるのに良く、目に慕わしく、賢くするという」や「いかにも美しい」は、判断の最終基準にはならない。
神が「いかに食べるのに良く、目に慕わしく、賢くしそうでも、食べてはならない」と言われたら、食べてはならない。
2.
私は「自然の理性や良心(つまり、生まれながらの人間の理性や良心)に頼ってもよい。聖書よりも重視すべきだ」と言う教会から追い出された。
自然法に信頼する現代のプロテスタントは、ローマ・カトリックによって徹底して洗脳されている。
長老派がリベラリストによっていかに乗っ取られたかは、ゲイリー・ノースの"Crossed Fingers"を読めばわかる。
グレシャム・メイチェンやヴァン・ティルが彼らと戦ったが、イルミナティの豊富な資金力と時代の流れによって、リフォームドの教会の土台は大きく破壊された。
1930年代、つまり、ニューディールの時代は、イルミナティがキリスト教を破壊した時代である。
彼らは1913年に中央銀行を作り、偽札を刷る権利を与えられ、その豊富な資金を用いてキリスト教界を乗っ取り、人々の心を啓示から引き離すことに成功した。
アメリカの教会は、ローマ・カトリック化された。
表面上はプロテスタントだが、中身はローマ・カトリック。
そのローマ・カトリック化されたキリスト教が、プロテスタントの外貌のもと戦後日本の教会を作ってきた。
それゆえ、自然法を否定し、神の法(セオノミー)を唱える私のような人間の出現は、キリスト教界に潜んでいる霊を憤慨させた。
私は、彼ら自然法派の人々の間では、今でも「危険思想家」のままである。
聖書啓示を「危険思想」と見なす。
倒錯の極みである。