日本はもともと救いの島=パラダイスとして古来認識されてきたのか
征夷大将軍坂上田村麻呂を先祖に持つ会員の方がいらっしゃいます。
坂上氏は、東漢氏の一部であり、東漢氏は、霊帝の子孫とされ、応神天皇の条に渡来したと記されている阿知使主を氏祖とする帰化系氏族集団ですから、渡来系です。
私は父方が渡部氏で、渡来系です。
日本は、全体が、神社の境内のようなところで、鳥居をくぐる、つまり、一定の資格のある人しか入れなかったのでしょう。
大陸や半島に残った人々と日本人が本質的に違うのがこの点で、おそらくYAP遺伝子という中東のレバノン人やイスラエル人と同じ遺伝子を日本人だけ(チベットにもいるが)がアジアで持っているのは、おそらく契約の民としての同族以外に入れなかったということと関係しているのではないかと思います。
http://neroeee3.tumblr.com/post/5238630888/yap-yap
縄文系のアイヌ人や琉球人も、原日本人としての形質を持つと思われます。それは、石垣島や沖縄にイスラエルの風習に似た習慣が見られるからです。
私の知人にこの地方出身で、イスラエルの幕屋に類似した神殿に仕える祭司の家系の方がいらっしゃいます。
内容は門外不出だそうなのでインターネットで公表できないのですが、「きわめて」聖書の契約の構造と類似した礼拝形式と象徴を持っています。
ただ、縄文人については、刺青をしていたと記録にあります。刺青は聖書で禁止されていたのでその点が問題です。
アッシリアやバビロン捕囚から逃れてわたってきた人々よりも以前にイスラエル人が来ていた可能性があり、それ以前の人々の風習が混入したのかもしれません。
岩宿遺跡から、旧石器時代の人々も日本にはいたようです。
実は、不思議な縁で、岩宿遺跡一帯の土地を持つ元地主の人と知り合う機会があり、いろいろ興味深い話を聞きました。
群馬や埼玉北部の人々は、この知人のように外人のような顔をした人々をよく見かけます。内村鑑三も高崎出身ですが、日本人離れした顔立ちです。
飛鳥京は、「計画的に建設された渡来人の町だった可能性が強くなっているそうです。渡来系の大豪族、東漢氏の本拠地だったことが考えられ」るそうです。
http://sanzan.gozaru.jp/bb/bb56/bb56.html#C
おそらく、新エルサレムとして作ったのではないでしょうか。
飛鳥川が町中を流れ、平安京の鴨川のように、両脇に薬効の樹木の実がなっていたのではないかと思います。
つまり、徐福にしても、東漢氏にしても、渡来人は、日本を新エルサレムとして見て、やってきた。
その際には、契約の民であるという条件があった。
日本はもともと救いの島としてパラダイスとして認識されていたのではないか。
これは、まだ想像の段階ですが、いずれ証明する人が現れるかもしれません。
2013年8月15日
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