飛鳥氏によると、瓢箪(ひょうたん)は、蓋の部分を「つる」といい、胴体の部分を「かめ」という。真名井神社には瓢箪の碑が入口の右にある。
https://www.youtube.com/watch?v=fGwtsYOdJFc (8:55から)
瓢箪は、鶴亀=物部氏=浦島太郎=イエス・キリストを表す。
だから、籠神社から伊雑宮へのレイラインは、瓢箪で象徴できる。
真名井神社の古称は吉佐宮であるが、もともと「匏宮(よさのみや)」と書いた。
匏(ひさご)または匏瓜は、ひょうたんより大きいがひょうたんに似ている植物である。
この匏を「よさ」と呼んだのは、ひょうたんの褒め言葉である「天のよさづら」から来ている。
真名井神社の古称である吉佐宮はもともと「匏宮」と表記して、「よさのみや」と訓んでいました。「匏宮」の「匏(よさ)」という漢字は本来「ひさご」と訓み、「匏(ひさご)」の褒め言葉を「天のよさづら」と云います。匏宮(よさのみや)・吉佐宮(よさのみや)の 「よさ」という宮号はひょうたんの褒め言葉である「天のよさづら」の「よさ」に起源があることが伝えられています。匏宮・吉佐宮では「匏(ひさご)」に天の真名井の水を入れて神祭りをしていたので、「天のよさづら」の「よさ」から「よさのみや」という宮号になったと云われています。 当社のある「宮津市」は昭和二十九年に新しく出来た「市」で、それまで当社は「与謝郡(よさぐん)」に属していました。与謝郡の郡名は「よさのみや」の「よさ」に起源があったと伝えられています。
http://www.motoise.jp/about/
つまり、真名井神社=吉佐宮=匏宮=瓢箪の宮=イエス・キリストの宮。
「よさ」はヨシュア、つまり、旧約読みのイエスと思われる。
吉佐宮=ヨシュアの宮=イエスの宮。
物部氏は、イエス・キリストをこのように、鶴亀や瓢箪という象徴で表現してきた。
どちらも今日、縁起物として知られている。
イエス・キリストによる祝福と関係があるのであろう。
瓢箪は種が多いことから子孫繁栄を象徴する。
アブラハムに与えられた子孫繁栄の契約を想起させる。
引用文にあるように、真名井神社の神祭りにおいて、匏は天の真名井の水を入れて用いられていた。
エデンの園から流れ出る水、そして、荒野におけるメリバの水、すなわち、イエス・キリストから来る聖霊を象徴するのであろう。
上記の真名井神社の紹介サイトでは、御霊水と呼んでいる。
まさに、御霊(みたま=聖霊)の水である。
奈良時代になると、真名井神社の宮名は「籠宮(このみや)」となる。
籠宮の宮号起源(奈良時代)
宮号を「籠宮」に改変した際に、主祭神を彦火明命としました。 籠宮と名付けられた由縁は、別名を彦火火出見命とも云われた彦火明命が、竹で編んだ籠船に乗って、海神の宮(これを龍宮とも常世とも呼びます)に行かれたとの故事によって「籠宮」と名付けられたと伝えられています。
この話から浦島太郎の物語ができたと思われる。
彦火明命(ひこほあかりのみこと)は、物部氏の古事記とも言われる『先代旧事本紀』では、穂積臣、物部連の祖である饒速日命(ニギハヤヒノミコト)と同一神である。
つまり、物部氏の祖神である。
物部氏がキリスト教徒であるとすれば、この神はすなわちイエス・キリスト。
彦火明命は別名天火明命(アメノホアカリ)、または、天照国照彦火明命であり、
「天照国照」「火明」からわかるように太陽の光や熱を神格化した神である。
また、『古事記伝』では「ホアカリ」は「穂赤熟」で、稲穂が熟して赤らむ意味としており、天皇に繋る他の神と同様、稲に関係のある名前でもあり、太陽神、農業神として信仰されている。
(Wikipedia―天火明命)
聖書においてイエス・キリストは太陽で象徴される。
この彦火明命は、籠舟で、海神の宮、すなわち、龍宮または常世に行く。
辞書によると、常世(とこよ)とは、永久に変わらない神域で、死後の世界でもあり、黄泉もそこにあるとされる。
つまり、彦火明命は死んだのだ。
浦島太郎が龍宮に行ったのは、死亡したことを示している。
イエス・キリストが黄泉に下ったことを示している。
浦島太郎は陸地に戻る。
復活を意味する。
その後、太郎は「鶴」になって蓬莱山へ行く。
これは昇天を示す。
八咫烏によると、物部氏の出自は徐福と童男童女3000人であり、徐福は不老不死の薬を探しに蓬莱山を目指したとある。
蓬莱山=不死の山=富士山。
富士山には徐福伝説がある。
富士山は、ユダヤ人徐福(ヨセフ)にとってパラダイスであった。
ユダヤ人が富士山を持つ日本をパラダイスと考えていたことがうかがえる。
私は、古代からユダヤ人が日本をパラダイスと見ており、それがジパング伝説になったと考えている。
物部氏の宗教は、キリスト教であり、日本人が生活の中で接してきた様々な文物に、キリスト教が隠されている。
籠の鳥が出るときに、人々の目が開け、日本人がイエス・キリストの民であることを理解するようになるだろう。