契約的一体を拡大することにより神の国は発展する



>3つの位格があるということは、3人の神がいらっしゃると同義です。



ありがとうございます。



何と合理的な解説なのでしょう!



たぶん、学校で三位一体を教える先生も、教会の牧師さんも、ここまで明確には理解できていないのではないでしょうか?



「三位一体とは、神は唯一だが、神には父なる神・キリスト・聖霊の3つの位格があるということです。でも神が三人いるということではないんです。キリスト教は一神教ですから、三人の神はあり得ません。父なる神も、子なるキリストも、聖霊も、唯一の神なんです」



↑多くの人は、このような説明をすると思います。



それで結局頭の中では、三面一体のようなものや、3つの頭を持つ神をイメージしたりするわけです。



三位一体についての明確な理解がないから、キリスト教内部で様々な諸説が生じてきたのかもしれません。



三位一体というオーソドックスな教会の教義を、オーソドックスな教会の人が十分理解していないというのが、キリスト教界の現状なのかもしれません。



なんだか、三位一体の教義を徹底して明確にするだけでも、キリスト教界の大改革に発展しそうな気がしてきました。



要するに、大先生と言われる方も、最も基礎的な事が分かっていないということでしょう。



みんな三人の神という言い方を否定するから、三位一体論が理解不能でグロテスクなものになっているのでしょう。



富井様のような明確な三位一体論を、私は今まで見たことも聞いたこともありませんでした。



これは、ほんとうに凄い!



富井様、ご多忙の中、丁寧なご説明、ありがとうございました。



Molotov

こちらこそ感謝いたします。

今後ともよろしくお願い申し上げます。

契約的一体と言う概念は非常に重要ではないかと思います。

これが長い間、無視され、三位一体の理解や被造物同士の関係の理解を妨げてきたようです。

ご参考までに:

夫婦は存在論的には多数ですが、契約的に一人。

夫婦を中心に契約的関係が広がっていきます。

これが、「地を従えよ」の意味です。

神がアダムとエバに地上の支配を命令されたのは、(1)神の三位一体→(2)夫婦の三位一体→(3)家族と被造物の三位一体と発展させるためでした。

(1)神の三位一体

  父
 / \
子 ― 聖霊


(2)夫婦の三位一体

  神
 / \
夫 ― 妻

(3)家族と被造物の三位一体

(i)

  神
 / \
夫婦 ― 子(及び使用人)


家族も存在論的には多数ですが、契約的には一人。そのため、救いが家族単位で与えられている。

もしも主に仕えることがあなたがたの気に入らないなら、川の向こうにいたあなたがたの先祖たちが仕えた神々でも、今あなたがたが住んでいる地のエモリ人の神々でも、あなたがたが仕えようと思うものを、どれでも、きょう選ぶがよい。私と私の家とは、主に仕える。(ヨシュア記24・15)

あなたがたの中の男子はみな、代々にわたり、生まれて八日目に、割礼を受けなければならない。家で生まれたしもべも、外国人から金で買い取られたあなたの子孫ではない者も。(創世記17・12)

しかし、遊女ラハブとその父の家族と彼女に属するすべての者とは、ヨシュアが生かしておいたので、ラハブはイスラエルの中に住んだ。今日もそうである。これは、ヨシュアがエリコを偵察させるために遣わした使者たちを、ラハブがかくまったからである。(ヨシュア記6・25)

ふたりは、「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます」と言った。(使徒の働き16・31)

このため、家に産まれた子に洗礼を授けるのは当然である。

子供を契約的一体の中にいると考えず、幼児洗礼を否定することは、契約的絆を自ら断ち切ることであり、祝福の相続をすすんで失うことを意味する。

また、家の使用人、元奴隷なども割礼を授けるべき対象になっているので、契約の中に入っていると聖書では見ている。

夫婦があずかっている契約的祝福(現世的・来世的)をこれらの人々も受ける。

もちろん、子供にしろ使用人にしろ、自ら信仰を拒絶するならば、祝福から漏れるのは当然のことである。

私たちが、この地に入って来たなら、あなたは、私たちをつり降ろした窓に、この赤いひもを結びつけておかなければならない。また、あなたの父と母、兄弟、また、あなたの父の家族を全部、あなたの家に集めておかなければならない。
あなたの家の戸口から外へ出る者があれば、その血はその者自身のこうべに帰する。私たちは誓いから解かれる。しかし、あなたといっしょに家の中にいる者に手をかけるなら、その血は私たちのこうべに帰する。(ヨシュア記2・18-19)

クリスチャンの夫婦は、生まれた子供や家族に属する者に積極的に洗礼を授け、神と自らの間に結ばれた契約とその祝福にあずからせるべきであるが、しかし、その者たちが自らすすんで契約外にいることを選択する場合には、祝福は及ばない。

自らすすんで契約外に出ることを選択せずにいる場合は、その人々は契約内にいる。

なぜなら、信者でない夫は妻によって聖められており、また、信者でない妻も信者の夫によって聖められているからです。そうでなかったら、あなたがたの子どもは汚れているわけです。ところが、現に聖いのです。(1コリント7・14)

(ii)

夫婦、子や使用人などによって構成される家族と資産の関係:

  神
 / \
家族 ― 資産

家族が所有する資産も、契約の祝福の対象である。

あなたがあなたの神、主の御声に聞き従うので、次のすべての祝福があなたに臨み、あなたは祝福される。
あなたは、町にあっても祝福され、野にあっても祝福される。
あなたの身から生まれる者も、地の産物も、家畜の産むもの、群れのうちの子牛も、群れのうちの雌羊も祝福される。
あなたのかごも、こね鉢も祝福される。(申命記28・2-5)


(iii)

  神
 / \
家族 ― 共同体(国、会社など)

家族がかかわる共同体(国、会社など)も、契約の中に入る。

ただし、共同体そのものがどれだけ神の法に従うかによって、かかわり方が異なる。

共同体が異教的である場合でも、神の法の範囲内で、主のゆえに権威に従う。

人の立てたすべての制度に、主のゆえに従いなさい。それが主権者である王であっても、
また、悪を行なう者を罰し、善を行なう者をほめるように王から遣わされた総督であっても、そうしなさい。(1ペテロ2・13-14)

クリスチャンは、所属する団体において、「主のゆえに」忠実であることにより、自らへの契約的祝福をその団体にも及ぼし、徐々に影響力を増すべきである。

ヨセフがエジプトへ連れて行かれたとき、パロの廷臣で侍従長のポティファルというひとりのエジプト人が、ヨセフをそこに連れて下って来たイシュマエル人の手からヨセフを買い取った。
主がヨセフとともにおられたので、彼は幸運な人となり、そのエジプト人の主人の家にいた。
彼の主人は、主が彼とともにおられ、主が彼のすることすべてを成功させてくださるのを見た。(創世記39・1-3)

あまりにも異教的であり、邪悪で、しかも頑固で、自分を追い出すような組織である場合には、ノアやアブラハムやロトのようにそこから出て、よりよく神を礼拝できる場に移るべきである。

そこにおいて、契約的共同体を自らつくり出すという道もある。

このように、個体である人間は、結婚や労働を通じて契約的一体(神の国)を拡大すべきである。

契約の中に働くべき原理は、神の法(聖書の御言葉)である。

神の御名があがめられ、神の御心が天において行われているように地上においても行われるようにすることが、私たちが地上に置かれている意味である。

 

 

2015年7月28日



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