バベルの塔への裁きはなぜ「言葉の乱れ」であったのか


1.

散歩のときに、砂の詰まった袋のついたベルトを足首に巻くことがある。

1kgのものもある。

足に負荷をかけることによってエネルギーを余分に消費し、筋肉を鍛えるためである。

家に帰るとそれを外す。足が軽くなる。

契約違反は、足首にこのようなベルトを巻くのに似ている。

神との契約を破ると、このようなおもりが徐々に重くなる。

普通にできることも苦労して行うことになる。

逆に契約遵守とは、足首からおもりを取り除き、車に乗って移動するようなものである。

人が苦労して行うことをいとも簡単に素早く行うことができる。

自分の力以上のことができるようになる。

神は、人間を契約によって扱われるので、神の御心にかなう人は、御心を損なう悪人よりもはるかに軽快な生活ができる。

これが世界に働く因果律の基本である。

2.

頑固に御言葉を無視し、契約に違反し続ける人には、契約的な呪いがかかる。

いかに金持ちであっても、何らかの形で呪われる。

たとえば、精神がやられ、常に憂鬱に支配される。

ある人は発狂する。

最終的には破滅が待っている。

契約違反者の繁栄は一時的である。

これは、ナイヤガラの滝の滝壺の手前で、ボートを漕いでいるようなものである。

上流に向かって懸命にオールを漕いでいるのだが、滝壺に落ちるのは必定である。

中共のように、政治犯の腎臓を売ったり、法輪功の人々を殺して人体標本でカネを稼ぐというようなナチス顔負けの悪行を積み重ねて、成功するはずがない。

いかに繁栄していても、いずれ破滅する。

3.

罪を犯すたびに、(霊的な)足に負荷がかかる。

だから、私は、罪を犯すことが大嫌いである。

喜んで罪を犯す人は大馬鹿者である。

滝壺に近づいていることを知らないからである。

幸い、律法には、罪の赦しの規定がある。

悔い改めれば、契約的呪いを回避できる。

悔い改めの祈りをすると、心も体も軽くなる。デトックスである。

悔い改めを知らない人を見ると「よく精神をやられないな」と思う。

イルミナティのために働いている人々の場合、神に見捨てられているので、繁栄が続くのだろう。

罪を犯すたびに、(霊的な)汚物がたまってくる。

罪になれているので、罪悪感もなくなり、その汚物が積もりに積もり、固まって、もはや臭いも発しないくらいになっているのだろう。

カチンコチンになったその汚物は、もう制御できない大きさになっている。

いずれ自分のほうに向かって倒れ落ちる。


欲がはらむと罪を生み、罪が熟すると死を生みます。(ヤコブ1・15)

胎児は十分に成長しないうちは胎内に留まっている。

時期がくれば、外に出てくる。

罪は成熟しないうちは、死を生まない。

罪を犯し続けても、破滅が訪れていないからと言って「破滅は来ない」と言ってはならない。

まだ熟し切っていないのである。

4.

バベルの塔は、完成間近まで放置される。

完成直前に神は降りてこられ、裁きを下される。

日本にはすでに、社会の主要なすべての場に工作員が配置されており、互いに連絡を取り合って、「協調的に」日本を破壊している。

ヘイト・スピーチ派と、反ヘイト・スピーチ派、そして、法務省は、互いに連絡を取り合って、協調的にヘイト・スピーチ法の成立のために努力してきた。

将来的には、ヘイト・スピーチに罰則を設ける予定だ。

刑事罰を科することができれば、自由な言論を弾圧できる。

彼らの都合の悪い言動には「差別」の理由で制限を加えることが可能になる。

正義と真実が支配する神の国の破壊である。

バベルの塔への裁きがなぜ「言葉の乱れ」であったのか。

なぜならば、陰謀は「コミュニケーション」によって成立するからだ。

陰謀家たちは、互いに連絡を取り合って協調的に計画を推進する。

コミュニケーションに乱れが生じたら、計画は頓挫する。

神が日本破壊を推進する人々のコミュニケーションを破壊してくださるよう祈ろう。

そして、契約的な呪いが加わり、彼らが無力化するように。

 

 

2019年6月21日



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