偶像礼拝にならないように文化を発展させるには
(1)
祈りは直接働くこともあれば、有効な方法を発見するという形で働くこともある。
私の場合、血圧が高かったのでお祈りいただいてきたが、本当に正常値に下がった。
神様とお祈りくださった皆様に感謝いたします。
食事やサプリメントなどをいろいろと試したのだが、私の場合、大麦若葉がかなり効いた。
飲み始めてすぐにすっかり正常値になりました。
ケルセチンをたくさん含む玉ねぎの皮の粉末は、私の母の血圧を下げたが、私にはきかなかった。
1月末からずっと仕事が続いており、運動ができない状態だった。最近血糖値が上がっている感じがする。
内臓脂肪がたまると血糖値が上がるように思える。
私の場合、運動をすると、血糖値は正常に戻る。
翻訳という仕事はうっかりすると運動不足による生活習慣病になりやすい。
(2)
クリスチャンは、文化について突き放して見、判断し、解釈しなければならないと思う。
たとえば、宮崎アニメをノンクリスチャンと同じように賛同しながらのめり込むようにして見ていると、彼と同じように左翼思想になる。
ディズニーランドをノンクリスチャンと同じように我を忘れて楽しむならば、フリーメイソンだったウォルト・ディズニーの策略にはまる。
30年ほど前、最近亡くなった私の高校の先輩でもある渡辺淳一の小説を読んだ。医者としての立場から死生観を描いた社会派小説だったことを覚えている。
この人は無律法である。その後、不倫を描いた小説を多数書いた。
「作家は殺人以外何をしてもいい」と言ったのを覚えている。
クリスチャンが、こういう人の小説を読むことは無理だろう。
信仰を正常に保つことはできまい。
いくら突き放して見ようとしても触れてはならない領域がある。
それは聖霊による各自の判断だろう。
聖霊は自分が危険な道に行こうとすると、その前に警告される。
(3)
私の父は、若い頃軍人で、戦争が終わると教師になった。
師範学校時代の友人無着成恭とともに山形のまずしい村で子供たちを教えた。(無着と学校は異なった。)
母親に偶像礼拝(仏教)を強要され、クリスチャンではなかったが、それを避けるために北海道に移住。
幼稚園児であった私と真駒内の川沿いを散歩しているときに、アメリカ人の子供が教会の外で遊んでいるのに気付いた。話しかけると「お父さんは牧師だ」と言った。
その教会の英語教室に通うようになり、その後礼拝にも出席し、信仰を持った。
英語学習と読書以外無趣味な人だった。
父の父親、つまり私の祖父は音楽家兼教師であった。パイプオルガンでバッハのトッカータとフーガを引いている写真が残っている。
祖母との折り合いが悪く、離婚した。
前後して結核にかかり、山形の学校の教職を追い出され、東京に出てきた。
生活費を稼ぐために浅草雷門の大提灯の下でバイオリンを弾いているときに声をかけてくれた人の紹介で、千葉医専に勤務しはじめた。しかし、結核が悪化し、37歳で他界した。
祖父のDNAのせいか、私は、父親と違って多趣味である。
だから、キリスト教にたって文化をどう見るかに興味がある。
文化を「世俗の領域」として切り捨て、キリスト教を教会活動に限定する今流行の神学(ディスペンセーショナリズム)では飽き足らなかった。
だから、R・J・ラッシュドゥーニーの聖書法綱要にはじめて出会ったときに感動した。
(4)
プレ・ミレの場合、文化を変えることは千年王国にならないと不可能と考えるので、文化との取組方が、どちらかに偏る。
1.無関心
2.のめり込む
1は、昔のディスペンセーショナリズムの教会によくあるパターン。世俗に一切触れてはならないと教える。
2は、最近のディスペンセーショナリズムの教会によくあるパターン。クリスチャンが、デスメタルの音楽を聞いたり、ハリー・ポッターのような悪魔的な映画を見る。
再建主義の場合、文化は改革されるべきものと考えるから、1と2のどちらにも偏らない。
つねに、一歩下がって見る。
演奏に感動するのと、のめり込むのとは違う。
前者は神が芸術を通じて与えるもの、後者は偶像礼拝である。
ローマ・カトリックやルター派と違って、カルヴァン派において音楽が発展しなかったのは、どこかで禁欲思想が紛れ込んだからではないかと思う。
偶像礼拝にならないように注意しつつ文化を発展させるには、大人の信仰が必要である。
大人の信仰を養うには、正しい聖書理解が不可欠である。
2014年5月15日
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